あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

相手(兄弟)を通して、癒される(赦される)日々

こんにちは、あのたまです(*´ω`*)

前回の記事から大分ご無沙汰しております、皆さんお元気ですか?

私は相変わらずで、お仕事と瞑想を軸としたシンプルな日々を過ごしています。

今は休憩時間中で、窓の外はしとしと雨が降っています。

雨粒が葉っぱにこすれる音がとても心地良いのですが、まだ10月だというのに、ちょっと寒すぎです…(;^ω^)(in軽井沢)

私は人一倍寒がりなので、もうそろそろ湯たんぽが無いと夜は眠れない感じになりそうな予感がしていますよ(笑)

 

さてこんな具合に肌寒さの気配を感じつつ、自然のBGMが心地良いので、今日は「人を通して得られる癒し」についてのお話しをしていこうと思います…(*´ω`*)

相手(兄弟)を通して、癒される日々

皆さんはどんな時に「癒された~!」って気分になれますか?

自分を癒してくれる対象や出来事は人それぞれ違うと思いますが、私の場合は美しい自然の景色だったり温泉だったり、美味しそうなご飯の動画や可愛い動物の動画だったりします。

疲れた時にそうやって「ほ~っ」とさせてもらえるのは、本当にありがたいことだといつも思うのですが、どうして、自然や動物は私たちを癒してくれるのだろう?と考える時がたまにあります。

そして、その答えとしては、彼らには意図した「攻撃」が無いからだと、個人的には思っています。

人間の意図した攻撃…すらも「自然」に起きている

雨が降らなくて水不足になったり、台風が来て建物壊れちゃったり…。

自然は災害という形で、ときどき、人間を傷つけたり苦しめたりすることがあります。

ですが、人々は一時的にそれに対して憤慨しても、心のどこかで「どうしようも無いよね」という諦めの気持ちを持ち、その怒りの矛先をいつまでも自然に向けたりはしませんよね。

というのも、たぶん自然が「人間を懲らしめてやるぜオラオラ~!(#^ω^)」という風に、意図してそれを起こしているとは感じないからです。

 

ですが、「人」に対してはどうでしょうか…?

私達は「自然や動物」に対しては、「まぁ、しょうがないよね」という感じに接することが出来ますが、「人」に対しては赦せない気持ちでいっぱいです。

何故なら「人間は理性を持って、自分の思考や感情をコントロールできるはずだ」と思い込んでいるからです。

「本当はこうできるはずなのに、こうできないお前は間違っている。悪い奴だ。許せない」なんてね。

 

災害が起きた時、最終的には「人(政府)」に対して怒りの矛先が向くのも、そういう理由からかもしれません。

訴訟とか賠償問題とか、もちろん保証的な意味では必要なことだと思います。

ですが、いつまでも根に持ってしまうのって、これって本当はおかしいんですよね。

 

というのも、私達は自分自身をコントロール出来てると思い込んでいるだけで、実は思考も感情も行動も、全くコントロールなんて出来ていないからです。

人間が持っている(ように見える)意図した攻撃性ですら、これも自然に起こっているだけで、起こることだけが起こっているだけで、実は自然と同じように、どうしようもないものなのです。

赦すか赦さないか、それだけだ…!

こんなことを言うと「じゃあ殺人は良いんですか?」とか「人を騙したり傷つけたりして良いんですか?」という話になっちゃうんですが、良いか悪いかの話ではなく、ただ、それが起こっちゃってるんですよね。

もちろん、被害を受けた側はたまったものではありませんけど、「相手を赦さない」ことで「一番苦しむのは誰か?」と考えてみてください。

私の師も言っているのですが、それは本当に「自分自身」なのです。

私もこういう学びを続けているので身を持って経験していますが、「赦す」ことで癒されるのは「私」自身なのです。

人に対して攻撃的なエネルギーを持つことは酷く疲れることです。

相手のことをずっと考えて、イライラし続けるわけです。

それならば、いっそのこと、嫌だな、と思ったり、クソだな、と思う相手を受け入れて(赦して)みて欲しいです。

「私ばっかり損してる」と「自我」は思うかもしれませんが、赦しを通して得られるのは、「私も同じ」だという感覚と、赦しを通して自身が癒されたことで生じる相手に対しての「感謝」の気持ちです。

私は最近、実は周りの人間関係でかなりゴタついた日々を過ごしていたのですが「瞑想+赦し」で、メンタルを病まず深刻にならず済んでいます。

相手(兄弟)を通して、自分自身が日々、癒され(赦され)、気付きがいっぱいです(*´ω`*)

攻撃的な気持ちを持っていたのは、果たしてどちらだったのか…。

世の中の戦争について論じることも大切ですが、「目の前の戦争」から目を背けず、終わらせる必要があります。

「鏡を見てください、あなた、鼻毛が出てますよ!」

とは言いつつも、癒しのワークをしようと思ったり、やっぱり出来なかったり…。

そもそも、こんなことに興味が湧かなかったり、というのも、自然に起こっていることです(#^^#)

なので、こういうことに興味が無ければ、それはその人に全く必要がないことなので、する必要はありません。

せざるを得ない状況になったら、勝手にしちゃうと思うので、迷ったり悩んだりしている時間がもったいないですよね。

そして、癒しのツールは一つだけではありません。

そこへ至る道は色々とあり、瞑想もその一つだと感じています。

ですが、ひとつ言えるのは、相手を非難したり攻撃したり、あるいは、相手から避難されたり攻撃されたりすることがある(正確には攻撃されたと思っているうち)は、「鏡をみてください、汚れてますよ!」ということなんです。

あなたが鏡の前に座って「あらやだ、鼻毛が出てるわ!Σ(゚Д゚)」と言って鏡をゴシゴシこすっても何も変わらないように、嫌なら自分自身の鼻毛を取るほかありません(笑)

いつまで誤魔化し続けるのか…?

この世界でどのように生きていくかは、人それぞれです…(*´ω`*)

私の場合は心が穏やかになった今でさえ「人生楽しい!幸せ!」と思っておらず、最近は、買い物やら温泉巡りやら登山やらスキーやら絵画やら音楽やら、今まで楽しいなと思ったことすら、どんどん興味を失ってきています…(笑)

もちろん、一時的に楽しいことはありますが、でも「ただの退屈しのぎの行動なのだな~」と感じます。

まぁ、ぜんぜん、それで良いんですけどね(笑)

悟りや非二元、瞑想方面のコミュニティにいらっしゃった方は、めちゃくちゃ精神的に苦しくて辛いか、世の中の楽しみを味わいつくしたけど何か虚しいとか、もう自分の気持ちを誤魔化せなくなった人が多かったように感じました。

 

私もそんな感じなので、これからも、心について思うことを発信していきたいと思います(*´ω`*)

腑に落ちた!全てはただ、完全に勝手に起こっている

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

だいぶ、だいぶご無沙汰しておりましたが、皆さまお元気ですか?

というか、まだこのブログを見てくださっている方はいるのでしょうか…?(;´∀`)

ぜんぜん更新が出来ておらず、もしも、楽しみにしてくださっている方がいたら申し訳ありません。

実は夏から二つのバイトをかけもちして(いつもの短期バイトと今年から始めたバイトが被った)、そのまま休みが無いままフルで働くようになって肉体的にヘロヘロになってしまい、ブログを書く余裕がありませんでした。

 

しかし、その期間に入っていた瞑想(非二元・悟り)コミュニティが入会期間が満期で終わったり、自分とは全く違うパワフルな方との出会いの中で、さまざまな気付きがありました。

なので、今ようやく夏のピークが終わって、連休が取れてすこし落ち着いたので、ブログを書けていなかった時の色々を、今日は少し話したいと思います。

一年間の瞑想(非二元・悟り)コミュニティを経て…

www.anotama.com

昨年の今頃、瞑想のコミュニティに入ったことをお伝えしましたが、それが終わったんですね(*´ω`*)

結果から言うと、色々クセがあってやり辛い部分はあったものの、入会して本当に良かったです!

コンテンツの内容自体はブレることのなく真実を語っており、道を外れそうになると、それを繰り返し何度も訂正していただきました。

あやふやだった「非二元・悟り」の概念も、体感を得て腑に落ちて、今まで「自分」が考えて感じて、人生をコントロールしていると思っていた部分が、タイトルの通り「全てはただ、完全に勝手に起こっている」だけなんだな~と気付くことができました。

瞑想の習慣も身に付いて、今後も定期的に師匠にセッションだけはしていただきながら、学びを深めていきたいと決意しました。

そして同時に、以前やっていた「奇跡講座」の本をまた引っ張り出して読んでいます。

言っていること、書いてあること。

表現は違いますが、やっぱり根本では同じなんですよね~(*´ω`*)

奇跡講座のエネルギーは、やっぱり温かくて優しくて、ネガティブな思考や感情に巻き込まれた時、本当に助かっています♪

思考(と感情)を一切、相手にしない

それと、もう一つ。つい最近コミュニティで知り合った方とスカイプなどで情報交換して「思考(と感情)を一切相手にしない」をやっていこうと決意しました。

これって、今までも、もちろんやっていたのですが、「瞑想する、習慣化する」という方に気を取られがちだったので、更に「徹底して」日々の生活の中でこれを落とし込んでいくという感じです。

この「思考と感情を一切相手にしない」という行為は、あまり考え込まないタイプ、悩まないタイプの方は、きっと勝手に出来ているだろうと思います。(読者さんの中にも、きっと無自覚の覚者さんがいることと思います…w)

ですが、私の様な思考グセが強く悩まずにはいられないタイプの人にとっては、訓練しない限り、ずっと脳内で言葉のループが繰り返されます。

なので、日々の生活の中で、実践あるのみ!ですね…♪

一緒に学び、歩んでいく仲間との出会い

ところで、コミュニティで私は同じように道を目指す仲間との出会いを求めていたのですが、入会中は全くそういう方を全く見つけることが出来ませんでした。

というのも、多くの方は「先生の信者」のような感じで、先生の言うことの全てを「正しい」と受け取る方が多かったからです。

また「ポエマー」のような方が多く、非二元・悟りを学んでいる自分に酔っているような感じの方が正直、苦手でした(;^ω^)

私は学びが進むほどに、気持ちはより現実的になり、非二元・悟りは、特別なものでも何でもないと感じ始めたので、なんか距離を感じちゃったんですね。

で、それを正直にコミュニティの日記に書いていたものですから、当然まわりとの温度差がある訳です(笑)

(もう仲間を見つけるなんて無理だな。このまま退会だなぁ…、)と思っていたのですが、私の日記を読んで「ウソ偽りが無くて好き!」とおっしゃってくれる方が連絡をくれて、その方とお話をして、今後も情報のシェアをしていくことになり、上記の通り「思考(と感情)を一切相手にしない」を徹底してやってみよう!ということになった次第です。

非二元の学びは一人でももちろん出来ますが、二人で一緒に同じ方向を目指していく仲間が出来ると、やる気もUPして気持ちも楽しくなるので、本当に嬉しいです。

エネルギー強すぎ!!な、人たちとの出会いの中で…

さて、話は変わって、ブログが書けなかった期間、なんというか、とてもエネルギッシュな方たちとの出会いが連続して起こり、お話を伺う機会に恵まれました。

主にバブル時代を経験しているような方々でしたが、まぁ、皆さんとにかく普通じゃなくて人生経験が富んで、激しい!(笑)

その時代は社会の雰囲気もアゲアゲで経済的に豊かだからそれを出来たんだろうなぁ~という感じもありますが、とにかく昔も今も楽しそうです。

私はかなり平凡で何の意欲も無くダラダラと生きていたタイプなので、そのお話は小説を読んでいるようで、本当に面白かったです(#^^#)

そして、この出会い中で、私の中にまだかすかにあった「こうなりたい、ああなりたい」という欲求に変化が生じました。

意欲が湧かなくても、何の問題も無い

エネルギッシュな方々のお話を詳しく聞いていたら、気付いたことがありました。

本人も言っていましたが、私からは憧れの対象であるアグレッシブな人は、必ずしもそうしたいからしている訳では無くて、その有り余るエネルギーを発散せざるを得なくて「行動している」ということが…。

そして、話の中では「楽しかったこと、良かったこと」が中心になっていますが、その反面、とても大きな苦労もあったということが垣間みれます。

言葉では「好き勝手やってきて、幸せ!」と言っていて、実際その通りだろうなぁと思いますが、敏感な私にはその根底にある「憂い」の感情も伝わってきました。

なので、やはり「どっちが良い」ということは無くて、その人にとって、ただ、「その現象」が起こっているだけなんだなぁと感じました。

 

相手は、私のこの「ゆるさ、何もしてない感じ」が良いと言ってくれます。

私は基本やる気がなく、適当にゆるゆる生きていますが、これが良いと思ってません。

ただ、そうせざるを得なくてやってるだけですが、もうこれしか出来ません(笑)

自分とは違った素敵な人を見る度に「ああなりたいな」「こうなりたいな」と思いますが、非二元の学びもあって「もうこれで良いんだ、これでしかないのだ」という気持ちがどんどん深まっていきました。

そして、この思考も感情も相手にせず、ただ目の前に起こることを眺めて生きていこうと思いました。

軽井沢で、ごはん♪ゴハン♪ご飯~♪

さて、話はガラリと変わって、ご飯について!

職場が近いので、お仕事の合間に軽井沢にあるカフェや定食屋さんに行ってましたので、ここに紹介したいと思います~(#^^#)

私が行くのは大抵メジャーな場所じゃないので、参考程度に。

写真は無いのですが、いつもの如く、大好きな「ぱいつぼおる」さんにはつい最近、行ってきましたよ~♪

www.anotama.com

洋食屋さん「うさぎの森」

うさぎの森

ぱいなっぷる!

うさぎの森

ちきんタルタル!

何年も前から、ずっと行ってみたかった洋食屋さん。

他のお客さんを見ると、観光客というより、地元の会社員の方や、別荘地の常連さんが来てるのかな?

お値段も軽井沢値段じゃなくてリーズナブルです。

野菜がモリモリでめっちゃ美味しかったですよ~♪(#^^#)

tabelog.com

フランス郷土料理レストラン「シュエット

シュエット

仔羊の…、なんとか(#^^#)

こちらもずっと興味があったお店。

駐車場が無くて(有料の駐車場は、お店のすぐ近くにあります)、ずっと行くのをためらっていたのですが、職場の方と行くことが出来ました。

お昼のコース料理をいただいたのですが、美味しかったです(#^^#)

お値段もリーズナブル、お店が古い感じですがそれもまた良い!

次回はビーフシチュー食べたい!

www.karuizawa-chouette.com

ティーサロン 「軽井沢の芽衣

めい

軽井沢で紅茶を飲むならここだ~!

小説「浅見光彦シリーズ」の作家さんである内田康夫さんと、奥様の早坂真紀さんのティーサロンです(#^^#)

ここも大好きな場所で、今回はテラス席で凄く気持ちが良かったです~♪

いかにも「軽井沢!」という感じな雰囲気で、スコーンもケーキも紅茶も最高です!

軽井沢では個人的もっと好きなお店は在るのですがあまりにマイナーなので、「軽井沢でどこのカフェがオススメ?」と聞かれたら、女性には迷わずここを一番、推しています♪♪

asami-mitsuhiko.or.jp

天布良 「万喜」

軽井沢 天ぷら

軽井沢でまさかの天ぷら!

こちらも以前から気になっていた天ぷら屋さん!

一緒に食事をした友人は「軽井沢でまさか天ぷらを食べるとは思わなかった(笑)」と言われました…w

ランチのサービス天丼はお手頃で、衣もサックサクでとても美味しかったです。

旧軽銀座の大通り脇道に入ったところにあります。

tabelog.com

茶店「珈琲歌劇」

珈琲歌劇

BGMが好み過ぎる喫茶店…♪

旧軽のところにあるアンティークな喫茶店

BGMがヘンデルとかバッハとか静かな曲がいっぱいで、個人的に超好みで「CDなんですか?」と聞いたら「有線なんです」とのことで残念でした…( ;∀;)

駐車場が無いのでなかなか行けないのですが、珈琲も紅茶もポットサービスでおかわりがあるので、ゆっくりお喋りできて好きです。

ご年配のお金持ちそうな雰囲気のお客さんが多い印象です(#^^#)

tabelog.com

軽井沢「離山房」

離山房

クリームソーダゼリー!

ジョン・レノン氏とオノ・ヨーコさん夫妻が来た!」というお店の紹介が前面にあって、雰囲気が良さそうでずっと行ってみたかったお店です!

お茶は美味しかったのですが、思いっきり軽井沢値段です…(笑)

お店は森の中なものの車通りが多くて、軽井沢の他のお店を色々行った後での正直なところの感想は「そんなに良いかな~?」という感じでした。

一緒に行った方も「ジョン・レノンに頼り過ぎ…?(;^ω^)」とのこと…。

でも、こういうのは好みの問題なので、ピンときたら行ってみてくださいね♪

www.rizanbou.jp

最期に:いつもの公園で…

山王山公園

珈琲を飲みながら、ただぼーっとする

ここまでつらつらと近況報告を書いてきましたが、いかがだったでしょうか。

最近では漫画も全く描かなくなり、ただお仕事をしてご飯を食べて寝て、そして写真の通り、大好きな公園で珈琲を飲んでぼーっとしている日々です。

この時間が本当に幸せを感じられて、すごく好きです…(#^^#)

正直なところ、定期的にこの「大好きな公園で珈琲を飲んでぼーっとする」ことさえできれば、あとはどんな生活をしてもいいかもしれない、と思っています。

小さい頃、よく一人で近所の裏山に一人で遊びに行って(今考えると危ない…(笑))、高台から景色を眺めていました。

多分、それが原点で、なによりも好きなことなのかもしれません。

 

それでは、また次はいつになるか分かりませんが、お会いできる日まで…♪(#^^#)

「愛」についての、とある体験

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです(*´ω`*)

大分ご無沙汰しておりますが、皆さま、お元気でしょうか?

私はというと、前回の記事にもちょこっと書きましたが、今まで地味に悩んでいた体の持病で入院&手術をして、その後は無事に回復!

今はお仕事を掛け持ちして休みが全くない状態が続いております…(笑)

忙しいのですが、どちらも好きな仕事内容なのであまり辛くはなく、むしろ「こんな自分にお仕事を与えてくれて本当に嬉しいし、ありがたい!!」という感謝の気持ちでいっぱいです♪

ただ、寝不足になると朝に吐き気がきて、心身ともに疲れるので、とにかく毎日、良く食べて早く寝るようにしています ( ˘ω˘ )zzz.

瞑想は疲れすぎている時は寝ちゃってますが、ゆるゆるやっていますよ。

 

さて、そんな感じでバタバタと過ごしていますが、先日、朝の車で通勤中に、突然タイトルについてのちょっとした体験がありました。

といっても、大したことでは無いのですが、自身にとってずっとテーマだった「愛」というものが何なのか、というのが何となく腑に落ちたんですね。

愛が無い「私」

私は小さい頃から、自分には「愛が無い」「なんて冷たい人間なんだ」という風に思うことが良くありました。

まぁ、とにかく性格も悪く我儘な人間だったので、自分の思考の中に流れる自分の非情さや冷酷さを目の当たりにして心底ウンザリしていたんですね。

そのため、身近にいる「優しくて愛が溢れてるような人」を本当に尊敬していましたし、自身もそうなれれば良いな、なりたいな、と思っていました。

心の勉強をしたり瞑想をしていく中で、もはや「愛が無い自分」について悩むことはしなくなったのですが、それでも、「愛」は自分の中で大きなテーマの一つでありました。

「愛」と「恐れ」

それで、具体的にどんな体験をしたのかというと、車の運転中に「とあること」について考えるともなく考えてたんですね。

いつもの如く「考えているな~」と眺めていたんですが、突然「!!!!」となって、「そうか!だから、愛の反対は「恐れ」なんだ!!」というアハ体験のようなものが起こりました。

今まで自分が学んできて、分かったようで分からなかったことが繋がった感じでした。

そして、全身に鳥肌が立ち涙が溢れて、同時に笑いがこみ上げてきて、泣き笑いが止まらなくなりました…(笑)

「なんだ、ちゃんと「愛」はあるじゃん!よかった!本当によかった!」

誰にでも、全てに「愛」は「在る」ということ。

もう今はそんなことないのですが、その時は「今、幸せだ!」と心の底から感じました…(*´ω`*)

まぁ、とにかく不思議な体験でした。

何の前触れも無かったので、電車とかじゃなくて車の中で本当に良かったです…w

「愛」とは何か…?

で、結局「愛」ってなんなの、って感じだと思いますが、すみません。

ぶっちゃけ、なんかもう、よく覚えてない感じなんですよね…(笑)

「オイ!」って突っ込まれそうですが、とにかく、ただ言えることは「愛が無い人はいない」ということ、「誰もが愛を求めている」ということだけです。

で、愛は本当はもう何をしなくても「在る」んですが、「愛が在ることを思い出す」ために、私たちは日々、交流して、繋がりを求めいるんだなと感じました。

「赦し(受け入れること)」についての確信を持つ

そして、この体験を経て、これまで奇跡講座で学んだこと、今も変わらずっと続けていることが「やはりこれしかない」という気持ちを強くなりました。

というか、これ以外することは何もない、ということです(笑)

目の前で起こること、目のまえに現れる人…。

あらゆる体験を通して、私たちは結局、一つのことしかしていません。

だから、何をやろうがどこにいようが、本当に何でも良いのかもしれません。

今、目の前に現れていることを、そのまま受け止めればいい。

これからも日々、学びをゆるゆると続けていきます~♪(*´ω`*)

映画「PLAN 75」を鑑賞しての感想~♪

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです(*´ω`*)

先日「PLAN 75」という、社会派(?)の映画を見に行ってきました。

plan75

倍賞千恵子さん主演!声も演技も凄かった!

happinet-phantom.com

この映画はたまたま珍しくTVを付けている時に目にして、テーマが私が普段から気にかけているような内容だったので、興味を抱きました。

本当はお友達と一緒に「善光寺御開帳」のついでに鑑賞するはずだったのですが、体の具合の都合で急遽予定が変更になり、公開日と同時に急いで見に行ってきた次第です。

ネタバレが若干あるので、興味のある方は、あらすじまで見たらどうか引き返してくださいね~(笑)

映画「PLAN 75」のあらすじ

この映画がどんな内容かはオフィシャルサイトに行ってもらえれば詳しいことが分かるのですが、ザックリ言うと「75歳になったら生死の選択を自由に出来る制度が出来ている、少子高齢化社会の日本が舞台のお話」です。

倍賞千恵子さんが演じる主人公は78歳、ある日、身寄りが無くて勤めていたお仕事も解雇されたことをキッカケに、この制度の申請を検討し始めます。

お年寄り側だけでなく、この制度の申請窓口で働く役所の職員、死を迎えるまでサポートするコールセンタースタッフの女性、介護施設で働く外国人女性など、それぞれの立場からの視点もあ、この制度の全体像を見せてくれます。

plan75

きのう何食べた?」のジルベールが…!!

映画「PLAN 75」を鑑賞しての感想~♪(以下ネタバレ注意!)

それでは、さっそく感想にいきたいと思います♪(#^^#)

まずは倍賞千恵子さんが素敵でした。ジブリ映画の「ハウルの動く城」で初めて倍賞さんを知ったのですが、声がそのまんまソフィー!!(笑)

歌を歌うシーンがあるのですが、演技で普通の人っぽく歌っても美しかったです。

内容がかなり重たく、表情や沈黙のシーンが多かったのですが、俳優さん達の演技が凄すぎて、ぜんぜん退屈にならなかったです。

内容に関しては、私はてっきり「もっと命の尊さを…!」と説教臭く来るのかなと思っていたのですが、ぜんぜんそういうのじゃなく、本当にリアル過ぎて、軽くホラー( ;∀;)

主人公の境遇は、将来の自分の姿じゃないかと思うくらい、明日は我が身な思いでしたよ…。

安楽死について

以前、作家の橋田壽賀子さん(渡る世間は鬼ばかり)が「安楽死で死にたい」ということをTVかなんかで喋っているのを見た時、私も安楽死について考えました。

最期を看取ってくれるような家族や友人や居る人は良いけれど、そうでない人も現実には沢山いるわけで、私の義祖父も孤独死してることから「安楽死の制度があっても良いのでは無いか?」と個人的には思っています。

選択の自由があれば、「人生が幸せで、死にたくない!」って人は利用しなければ良いし、「もう生きていたくない」という人は、逆にそれが救いにもなるのではないかとも考えられます。

「死」ってどうにも暗く悪いイメージばかりありますが、私自身にとっては昔から「死」こそが「解放」で光に包まれるイメージがあるので、何がそんなにいけないのだろう、と思ってしまうのが正直なところです…(;^ω^)

映画の中では「この制度のおかげで経済効果がUP」みたいな描写あるのですが、生きて世の中に貢献できる人もいれば、死ぬことによって社会に貢献できるという現実が突き付けられ、これが現実なんだよ…という感じがしないでもないです。

なので、もしもこの映画の世界にいたら、私は迷わず申請しちゃうような気がします。

自分で生死を選択するなんて傲慢この上ないかもしれませんけどね…(;^ω^)

瞑想をして自我(思考)のカラクリが分かっても、この考えは変わらないような気がしますが、これはおいおい、まだどうなるか分かりませんね…♪(*´ω`*)

愛し合うこと、支え合うこと

人って誰もが寂しさや孤独を抱えているのだと思います。

映画の中で、主人公が「plan75」の制度を申請を死へ向かう過程で、涙が止まらなくなってしまったシーンがあるのですが、ただただ「存在」を受け入れてくれる人が居れば、人は生きていけるのかもしれません。

 

一緒にご飯を食べて美味しいね、って言い合える家族や仲間がいたり、自分の話を親身になって聴いて寄り添ってくれる人がいたり…。

自分を必要としてくれる人、守ってあげたい存在(赤ちゃんやペットなど)が居ることで、生きる力が湧いてくるのかもしれません…。

守って守られて、支えて支えられて…。

そうやって凸凹を埋め合って、人は愛を深めて成長していくのかもしれません。

意外な結末…!それもリアル…!

ところで、この映画の結末は、私にとっては意外というか、予想外でした。

でも、最後のさいごの行動こそ、とてもリアルでした。

主人公は日々の生活習慣から性格において、とても真面目で潔い人だなぁという印象を受けていたのですが、やはり頭で考えた通りに、自分の体が動くとは限らないんですよね。体は勝手に生きている、生きたい、生きようという衝動に抗えない。

なので、本当に考えさせられる、素晴らしい映画でした…(´;ω;`)ウゥゥ

結論:「こんな制度がある世界にしちゃダメだ!」

さて、ツラツラと書いてきましたが、この映画を見て「命はやっぱり尊い!」とか「明日から頑張って生きよう!」とか、そういう気持ちは全く湧いてきませんでした。

ですが、唯一、強く思ったのは「こんな制度がある世界にしちゃダメだ!」ということでした。

自分が孤独や不安感、寂しさを感じちゃうのはもうどうしようも無いから良いんですが、やっぱり悲しいし、地味に辛いので、他の人には、そんな思いをして欲しくないと心から思いました。

そのため、そうならないためにはどうしたらいいか、ということを本気で考えていきたいなぁと思いました。

世のなか全体を変えるような行動は出来ないけれど、まずは小さな一歩から、自身の意識の世界を愛や優しさで満たしたいです。

「生きる」ことに対してまだまだ後ろ向きですが、方向性はそっちだとヒシヒシと感じているのです。

 

助けて助けれて、支えて支えられて。

頭で考えたりそこに意味や価値を見出してるのではなく、そういうのが本当に当たり前、自然な人って、世の中に存在するんですよね。

今までは「心の安定」が私の目標でしたが、次は「愛」ですね…(*´ω`*)

 

何も価値が無いように見えても、迷惑しかかけてないように見えても、条件をつけることなく、ただその存在を受け入れて愛することが出来たら、これほど素晴らしいことはありません。

まずは、自分自身をそれで満たしてあげられるように…。

 

皆さんも興味があったら、この映画ぜひとも見てみてくださいね…♪

生きる希望と、日本の未来のこと

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

しばらくブログをご無沙汰しておりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

私はというと、気持ちのことや体のことやお仕事のことなど、色んな変化がいっぺんにやってきて、毎日が目まぐるしく、なんかもう日々をただ過ごすだけで精一杯になっております(笑)

しかし、その中でも瞑想だけはライフワークとして欠かさずやっており、そのおかげで、どんなにヘトヘトでも「心の余裕」だけは常にキープ出来ております。

体が疲れると、それに伴ってネガティブ思考や不安感が出てきますから、とにかく眠れる時はたくさん寝るようにしていますよ~♪(*´ω`*)

皆さんも、体だけじゃなくて心も疲れていたら、とにかく休息をとってくださいね~♪

 

さて、近況報告はこのくらいにして、話変わって今日はタイトルのことについて少し話したいと思います!

以前の記事で書いた通り、私はこの悟りの探求と瞑想を通して、今まで「生」に関してかなり否定的であった部分に諦めがついて、若干、後ろ向きではありますが「生きること」に肯定的になったのです。

といっても、希望にあふれている訳ではありませんけど…(笑)

「この世界こそが地獄だ」という気持ちは小さい頃から持っていましたし、今の日本や世界の現状を見ても、それは今も変わっていません。

ですが、ほんのちょっとだけ、意識が変わったことで、やっぱり「希望」を感じられるような情報を目にするようになるんですね。

日本の未来のこと

↑↑↑いきなりなんだこのタイトルは!(笑)って感じですが、私の生きることへの絶望感と、日本の状況は少なからずリンクしています。

私はこの日本という国が好きな気持ちがある一方で、「もう終わってるな、先が無いな…」とある時期から感じていました。

もしかしたら同じように感じている人は多いかもしれませんが、TVを見なくなったのもそれが大きいです。

なので、自分の人生と同様に、日本という国に対しても悪い意味で諦めていたのです。

そのため、ある時期からは「あとは自分が死ぬまで、とりあえず何事もなく、終わってくれればいいや。後のことはもう知らん。」

という感じになっちゃっていたんですね…(;^ω^)

若い時から、子供を産みたいと思えないのも、自分が生きる喜びを感じられなかったというのも大きいですが、日本の経済状況や、今後この国に生まれるなんて罰ゲームでしかないだろうという気持ちが大きかったからです。

だから、自分が死んだあとのことなんて、正直どうでも良くなっていました。

 

ですが、尊敬する師匠がある政党に参加して、そのことを紹介してくれたことをキッカケに、今まで自分のこともこの国のことに対しても受け身だった姿勢に、なんとなく変化が生じたのです。

今まで聞いたことが無い!新しく発足した参政党

皆さんは、「参政党」という党をご存知でしょうか…?

私は先生が紹介してくれるまでは、この政党のことを全く知りませんでした…(;^ω^)

というか、政治に関してはある時期までは興味を持っていたのですが、何年も追ううちに「何も変わらないじゃん」と、シャットアウトしちゃったんですね。

この「参政党」さんは、ワクチン反対派ということもあり、巷では「陰謀論者」とか言われているらしいのですが、何本かの街頭演説の動画を見る限り、私自身はこの方たちが言っていることと同じようなことを感じていましたし、本当のことを言っているような気がして、ぶっちゃけ胸が熱くなりました…(#^^#)

私の師がいつも訴えていることを、そのまま体現してくれているような感じがしていて、学びにもなります。

お金のためにやっているのではない、利権のためにやっているのではない。

「マジでこのままじゃヤバイ!本当にどうにかしないと!」という意気込みと「本気さ」を感じました。

関連動画↓↓↓ 興味のある人はみてみてくださいね♪

youtu.be

youtu.be

youtu.be

 

もう一度、信じてみても良いのかもしれない

この動画を見ることで、私は政治うんぬんより、自身のことや日本のことも含めて、もう一度「がんばって生きてみても良いのかもしれない」と、強く心を打たれました。

選挙に関しては結果はどうなるか分からないけど、こんなに全体のために頑張ってくれている人たちがいるのだということ、同じようなことを憂い、どうにかしなければと本気で活動している方たちが、結構な数、いること。

とても生き生きしていて、とてもまぶしく思いました。

そして、微力すぎるけど、自分もこの国のために何か力になりたいと感じました。

全体のために、自分が出来ることをやっていく

私がこれまで心のケアや悟りの探求、瞑想をしてきたのは、自身の苦痛を取り去ることが一番の目的でした。

ですが、同時に「情緒不安定になることで、周りの人にこれ以上迷惑をかけたくない」という気持ちが大きかったのも一つの原動力になっていました。

人は、自身が持っているものしか人に与えることは出来ません。

穏やかなエネルギーを持つ人は、周りに穏やかさを与えます。

優しいエネルギーを持つ人は、周りに優しさを与えます。

情熱のエネルギーをもう人は、周りにやる気を与えます。

私は、自身がネガティブなエネルギーが強かったことを自覚していたので、ポシティブは無理でも、せめて相手を不快にさせない程度のエネルギー状態でありたいと願って、ここまでやってきました。

そして結果「安定」を得て、今はその先にある「情熱」や「喜び」「幸福」を求めている自分がいます。

 

過去に何度も挫折をして、成功体験が無いので、それを求めることさえ怖くてしなくなていたのに、今は欲しいと、純粋に切に願います(#^^#)

今の時点で無くてもぜんぜん生活できるし大丈夫だけど、希望をもって生きていきたい、そんな風に思える日がくるなんて、本当に嬉しい限りです。

 

政治に関しては私は全く詳しくなくて、そこを論じることは今回は避けましたし、特に布教はしません。

人それぞれ、思想や意見は違いますしね。

ですが、こういうのって、その人に必要があれば、きっと体がかってに動いて動画を見ちゃうでしょう…(笑)

アプローチは違えど、この国のために目指すものが同じならば、きっと協力はしていけるのではないかと思ったりします。

自分の未来のこと、日本の未来のこと。

そんなことを頭の片隅に入れつつ、今目の前のことに取り組んでいきます♪(#^^#)

「悟りたい欲求」の消滅と、探求の終わり。

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

毎日まいにち、時間の長さはマチマチなものの、瞑想は欠かさず行っております。

最近では特別お話しするほどの大きな体験は無いのですが、対人関係の方でかなり興味深い方と出会い、それ故に、自分のこの「悟り」への探求はそろそろ終わりに近づいているのかなぁと感じる昨今です。

今日はそんなことについて、ツラツラと書いていきますので、興味がある方だけご覧いただければ幸いです~♪(#^^#)

瞑想を始めて9か月!…で起こった大きな変化とは…?

昨年の夏ごろから瞑想を始めたので、もうそろそろ9か月が過ぎようとしています。

その当時、私が瞑想を始めた理由は、今までずっとやってきた感情の探求を終えて「なんかもう、そろそろちゃんと瞑想をしないといけないような気がする」という気持ちが、心の底から湧いてきたからでした。

そこに加えて、小さい頃から生き辛さを感じていたこともあり、それをどうにかするため「悟りたい」という欲求もあったものですから、「悟ってる人は皆すくなからず瞑想している」というイメージのもと、そこに興味を持った次第です。

瞑想すれば、何かが大きく変わると思っていたけれど…

そっち方面の本をいくつか読んでいたこともあり、瞑想を始める前から「瞑想しても何か大きく自分の人生が変わるというようなことは無いだろう」と思っていました。

ですが、心の底では「悟りや覚醒」というものに対して、とても大きな期待と抱いていたのは事実です。

「悟った人間」になることで、自分に「価値」をつけたいと、気持ちのどこかで考えていたのは否定できません。

(まぁ、そのおかげで最初のやる気が無い時期を乗り切れたというのもありますが…(笑))

しかし、何か月がするうち、その期待が見事に裏切られたのは、言うまでもありません(;^ω^)

瞑想をし続けたからと言って、仙人のように高尚な人になる訳でもなければ、何か特別な能力がついて凄い人になれるわけでは無い。

そうではなく、瞑想をすればするほど、ただただ「目の前の現実がリアルになっていく」「それしかない」という経験をしていくことになるのでした。

そのうち、悟っても何にもならないので「悟りたい」という欲求も全く無くなってしまったのです(笑)

「過去」と「未来」しかない!頭の中で生きていた「自分」に気付く

人によっては、瞑想すると「集中力が上がる」とか「よく眠れるようになる」とか、そういう効果を話す方が多いですよね。

ですが、私の場合は特にそういうのは無くて、一番の大きな変化は「全く今にいない」ということに気付くことでした。

自分の意識は常に「過去と未来」にあったんですね。

そして、普段どれだけ無意識に「自分自身に責める言葉をかけていたか」とか、「生きることが嫌なのか」という思考のクセのようなものを発見できたのです。

因みに、これに対しては、今まではそこに捕らわれてしまっていたり、あえてそこに向き合って「考察」したりしていましたが、現在はただ「眺める」だけです。

単純に「ああ、そう考えているんだな…」と。

すると、時間が経てば、それは消えてなくなったり、思考はそれよりも大きな新しい悩みを紡ぎ出したりしていると分かりました。

全ての悩みや苦しみの原因は「思考」である

こんな具合で、「思考」を観察する日々を続けていく中で、全ての悩みや苦しみの原因は「思考」なのだなぁと、改めて思いました。

といっても、思考(自我)を全否定している訳ではありません…(笑)

これがあるおかげで、日常生活を問題なく送れているわけですからね…(*´ω`*)

ですが「思考=自我=不安=苦しみ」であることは、もうなんとなく体感として分かったのです。

そして、この「思考」が一瞬、消えた時、そこになんとも言えない、いわゆる「絶対的な」幸福感があるということも、体験の中で得ることが出来ました。

それこそが、私が小さい頃からずっと求めていたものであり、これからも得ていきたいと思う(実際にはもうある)、少なくとも、今、自分の中では最も「確かな」ものなのです。

「無意識の幸福感」を、常に感じている人…!

と、ここまでが、私の瞑想体験の中で得られたことで、これは私が今まで、回り道をしながらも人生のほぼ全てをかけて探求していた道のりです。

ですが、つい最近、なんか小さい頃からずっとそういう「幸福感」を感じている人と出会っちゃったのですよね…(;^ω^)

幸福について

皆さんは、幸福や幸せについて、どんなことを考え感じていますか…?

私の場合はご存知の通り根っこがネガティブなので「生きていて幸せと思ったことが無い」というのが正直なところなんです。

もちろん、一瞬一瞬、その時その時で、一時的に「幸せ」を感じるようなことはあってそれは間違いないのですが、それらの気持ちはすぐに消え去り、その反対側にある苦しみや悲しみ、虚しさが恒常的に「在る」ような感じがするのです。

今ではその「虚しさ」や「悲しみ」が「思考=自我」なのだなぁと、何となく気づいているものの、やはり、そのエネルギーは大きく、瞑想修行はまだまだ精進せねば駄目だなぁと感じざるを得ない日々です。

今まで生きていた人生の中で、「いつ」が一番幸せなのか?

ですが、そんな中で、どんな話からそういう話になったのかは忘れちゃったのですが、とある知人と「幸福」について語り合うことがあったんです。

その時、相手から「あのたまさんは今までの人生の中でいつが一番幸せだったの?」という質問があって、私はその問いに対して「『あの時は良かった』と思う時代はあったけれど、幸せと思ったことは一度も無い」と答えたんですよね。

それに対して、相手の方は「自分はどんな時も『今』だと断言できる。どんなに苦しくて辛かった時でもそう。」と、心底キッパリハッキリ言ったので、かなりビックリしてしまいました…Σ(´∀`;)

 

というのも、悟り系な本をいろいろと読んでいる私からすると「その答え」は間違えなく「正解」で私が辿り着きたい境地で在るからです。

この話をしていた時、相手の言うことを素直に信じることが出来たのは、その方は頭での理解ではなく、「体感」として本当に、常にそう感じているのだな…、と雰囲気とオーラを持っていたからです。

私はこれまで「この人が幸せそう、楽しそう」という人を真似っこして「どうやったらその人みたいになれるか」ということをずっと繰り返してきたので、表面的にはめっちゃ幸せそうでも、実際のところはそうじゃなかった…。苦しみから逃れるために、あるいは自分をよく見せたくてハッピーアピールをしていたり、ポシティブ思考になっていただけ、という人を沢山、見てきました。

ですが、今回はそういう感じは全くしなくて、「生きる喜び」を体現しているような感じが何となくしたのです。

 

そのため、私はその後そのことついて質問攻めにする訳なのですが、「無意識で感じている感じだから、うまく言葉に出来ない。どう表現して良いか分からない」ということで、結果的には、なんかよく分かりませんでした(笑)

最強の人種!?…頭で全く考えないタイプ

相手の方は、当然ですが「悟り」とか「メンタル」とかに全く興味が無く、基本ポシティブ思考で深く悩んだり考え込まない、私とは全く真逆なタイプです。

生きてるのが辛いとか苦しいと感じたことは一回も無いらしく(人生は話を聞くと壮絶…)、とても活発で、子供のように元気です…(笑)

もちろん、そうは言っても大人なので、過去や未来のことは考えていない訳では無いし、通常の辛さや苦しさは「そりゃあ、普通にある」とのことです。

ですが、先のことを考えても、結局「今目の前のことしか出来ない」ので、そういう感じで生きてきたそうです。

私の周りには「考え込まないタイプ」の友人がもう一人いますが、エネルギーの軽さがかなり似ているような気がします。

 

この方の言う「なんか無意識に幸せを感じてる」というのは、まさしく思考(自我)が落ちた時にずっとそこに在る、もともと在ると気付く「それ」なのではないかと、私は思っているのですが、兎にも角にも、この話をしたことで、私はこの長きに渡る「探求を終えよう」と決意をしたのでした。

探求の終わりと、はじまり

私がこの方と話していて、一番最初に感じた感情は「衝撃」でした。

そして「憧れ」だったのです。

ですが、その後に、これまでかつて感じたことが無いくらいの「悔しさ」と「怒り」を感じました。

相手をぶん殴りたいと思いましたし、自分のことも殴りたいと、モーレツに腹立たしく思ったんですよね!!(笑)

 

同じ人間なのに、この「差」は何なのだ…!と…(#^ω^)

私は小さい頃から、このことに時間を費やして悩んで迷って苦しんできたというのに、全く無意識に、私が得たいものを既に持っている人がいるとは…!

(正確には「誰もが持っているものに既に気付いている」ということです。)

 

いつまでもこんなことをしている場合ではない。

「もう終わらせて、始めなければいけない。」そう感じたのです。

頭の中で生きることを終わらせて、今を生きることを始めなくちゃ!…と。

生きることを、はじめる

私は小さい頃から、ずっと「早く死にたい」と思っていました。

生きることに全く喜びを感じていなかったからです。それは正直、今もそんなに変わらない感じがしています。

ですが、瞑想をしていくなかで、そういう「早く死にたい」ということも含めて、生きる意味とか価値とか、言葉として出てくる全てのものは思考でしかないと気付き、あるとき「もう勝手に生きてるんだから、考えても無意味。生きざるを得ない」という感覚になりました。

そして、どうせ生きるなら、少しでも楽しく生きたいと思いました。

生きる覚悟

生きているので、生きる。以上。

今の私にとっては、これが答えで、それで十分になりました。

 

その人、その人によって、その人生の中で起こることって、本当に違います。

私はある時期から「人」に興味を持っていたので、色んな方の人生や考え方を聞かせてもらいましたが、誰一人として同じ人はいませんでした。

しかしながら、形は違えど、みんな大なり小なり、根底では似たようなことで悩んでおり、目に見えない部分では「同じ」だとも感じました。

 

ただ、目の前に現れる人や現象、湧いてくる気持ちや思考。

そういうものに抵抗せずに、ただ受け入れることが出来れば、思考を暴走させる必要はないかもしれません。

 

私が入っている悟りのコミュニティでは、「ドラマを卒業する」という言葉を使って、それが全体の目標のようになっています。

ですが私は、今の段階では、どんなに瞑想をやっても自我は無くならないと感じており、むしろ自我と生きる覚悟、「ドラマを見る覚悟を持つ」という感覚になった次第です。

一緒に最後まで、辛いことや苦しいことさえも、笑い飛ばせるくらいになりたいと感じています(*´ω`*)

思考のエネルギーを、どこまでもそぎ落としていく

私は「深く考える」タイプですし「地味に繊細」でなので、お話しした方のようなレベルには到底いけないでしょう…(;^ω^)

ですが、出来るだけ、今まで通り、瞑想や観察を通して、思考のエネルギーをそぎ落として、その都度、決断して、後悔のないよう生きていきたいと思います。

なので、やるべきことは今後もあまり変わらないですが、今後とも適当に精進していきたいと思います。

 

以上、最近の気付きでした~♪(*´ω`*)

新緑の女子会!貸し切りコテージでBBQ!

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

先日はお友達と一緒に泊りがけでBBQ(バーベキュー)に行ってきました~♪(*´ω`*)

GWはお互いお仕事だったので「お疲れ会」も兼ねてのことで、当初は「どっかでお茶でも…」、という軽いものだったのが「実は最近グランピングに興味あって…」という友人の一言をキッカケに、勢いでBBQになってしまいました…(笑)

BBQって考えただけで面倒くさそうなので、頭で考えちゃうと足踏みしちゃいますが、面白そう!っていう気持ちとノリを大事にして良かったです。

結果、とても楽しい会になりましたので、せっかくなので記事にしたいと思います☆

新緑の女子会!貸し切りコテージでBBQ!

今回はお互いBBQそのものにあまり慣れていなかったので、BBQセットプランなどがある貸し切りコテージを利用することにしました…(*´ω`*)

食材以外は食器や調理器具など全部そろっていて大変便利な施設です。

バーベキュー

ログハウス風の貸別荘へ…

バーベキュー

平日ということもあり、広い棟をあてがってくれた…♪

大好きなログハウス、綺麗だし、とてもいい雰囲気でテンションが上がりましたよ~♪

現地集合して、ご飯を炊いて、紹介されたお肉屋さんやスーパーで食材を買い込んで、早速、BBQスタートです。

至れり尽くせり…!火起こしも簡単でとっても安心

バーベキュー

BBQと言ったら、火が起こすのが最大の難関…!?

バーベキューと言ったら、個人的に一番大変そうと思うのが「火起こし」です。

これっていつも男性陣が率先してやってくれていたので「気付いたら火が付いていた」という状態しか経験が無かったんですよね…(;^ω^)

なので、女性二人でかなり心配だったのですが、この辺りも至れり尽くせり…!

事前にオーナーさんが火のつけ方を詳しく教えてくれて、難なく問題をクリアー♪♪

バーベキュー

肉だーー!!肉だーー!!

強すぎることも無く、弱すぎることも無く、良い具合の火加減で焼くことが出来ましたよ~♪♪(*´ω`*)

ところで、お肉屋さんで購入したお肉がめっちゃ美味しくて、感動しました…!

お互い、普段は肉と言えば「鶏むね肉」という、質素な生活をしていますからね…(笑)

ちょっと高かったけど、贅沢して本当に良かった~♪♪♪

バーベキュー

ちゃんと野菜やサラダ、果物も用意しました♪

BGMはアニソン…!?盛り上がるくだらない話

バーベキュー

日が沈むまで、ずっと屋外でまったり…(^^)

この時期は寒くもなく暑くもなく、屋外がとても気持ちいいんですよね。

真っ暗になるまで、屋外でまったりしていました。

お友達はスピーカーを持って来ていたので、お気に入りの趣味全開な音楽を流して、それがまた話のネタになったりしていました。

お肉を焼きながら、全く益にならない、くだらない話で盛り上がりましたよ…(笑)

バーベキュー

途中ツバメが来たり…

バーベキュー

焼くものが無くなって火遊びが始まる…(笑)

だんだんお腹もいっぱいになってくると、火遊びが始まります。

何もないのに、ただ炭を燃やして火を眺める、謎の時間がセンチメンタルでした。

2回戦突入!お部屋でまったりのんびりな飲み会

バーベキュー

お友達はハイボール…!何杯目ですか!?(笑)

さて、夜が更けて肌寒くなったので、一度BBQの片づけなどをして整えてから、第二回戦が始まりました…(*´ω`*)

もう食べられないと言いつつ、お友達は用意していたお刺身を平らげ、私はひたすら甘いものをおつまみにしながら、ずっとお喋りしていました。

バーベキュー

お白湯タイム…

私は疲れのせいで胃の調子があまり良くなかったので、飲み物は途中でお白湯に変更していましたけどね…(笑)

夜になってくると、話はちょっと突っ込んだ話になって、そういうのも醍醐味です。

長時間かけてゆっくりと飲んだり食べたりしていたので、お互いベロベロに酔っ払うというようなこともありませんでした。

 

翌朝はスッキリといい気分で、おいしいコーヒーを飲んでチェックアウトです(#^^#)

別れ際は毎回かなりサラリとしたもので、なんとも爽やかだなぁと、友人を見ていていつも思います。

私と違って深く考え込むタイプではない彼女は、一緒に居てとても勉強になる部分が多いのですが、一方の彼女も、私と話すと「考えさせられる」とよく言います。

なんかよく分かりませんが、きっと自分達では気付かないところで、影響しあっているのかもしれませんね…(*´ω`*)

 

また一緒に遊べたら嬉しいです。

以上、新緑のBBQでした!