特別では無いただの自分を受け入れるとき ~「在る」べき姿~
私は今まで、自分から「やりたいこと」「この行動で認められたい」と思って行動したことに対しては、全くの成果を得ることが出来なかった。
けれど、誰かに頼まれてやったことや、周りからきた誘いに一緒に行動して黙々と淡々と作業すること対しては、自分が全く予想も期待もしていなかった、大きな評価を得ることが出来ていたことを思い出した。
そして、これこそが、今後の自分の人生に必要なものになるのではないかと、強く感じるに至った。
「向こうからやってくるもの。向こうから必要とされるものに対して、真摯に向き合って自分が出来ることを提供していく」、
という姿勢こそが、私の生きる在り方で、それが少なからず他者に影響を与えているのではないだろうか。だからと言って「私は他人の為に生きるのよ!」というものではない。というか、なってはいけない。
やりたくないことは無理にやらず「どっちでもいい」とか「暇だからやるか」というぐらいの感覚でやっていけばいい。
全て受け入れ流れるままに生きていくということ。
この考察で、両親と私を区別するならば、両親はその人生の中で感情のコントロールが上手く扱えてなかった点が上げられる。上記のような良い面もある一方、同じくらい、悪い面も見えていたのだ。
そして、この感情のコントロールをうまく扱えて、常にご機嫌なままに「普通を生きている」というのが主人とその家族であった。
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