ぐうたら主婦あのたまの漫画ブログ

脳内お花畑なメルヘン漫画を描いています。

自己肯定感なんていらない!?…無価値感の先にあった安心感

無価値感 無力感 エッセイ漫画

無価値感 無力感 エッセイ漫画

無価値感 無力感 エッセイ漫画

無価値感 無力感 エッセイ漫画

落ちるとこまで落ちたら、上がるしかないみたい

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

 

今日は「無力感・無価値感」について、

自分にとってはかなり大きな気づきがあったので、

そのことについて書いていこうと思います(*´ω`*)

 

何日か前、かなりメンタルが堕ちている日がありました。

落ち込んでいる時というものは、

大なり小なり「無力感」や「無価値感」は出てくるのですが、

その時は、今までに無いくらい大きな感情でした。

そのため、これはもう見て見ぬふりは出来ないと思い、

真っ向から思い切り感じてみることにしたのです。

自己肯定感なんていらない!?…無価値感の先にあった安心感

感情をとことん感じて…、またとことん観察をして…。

結果として「あ…、感情はただ起こって消えていくものなんだ…」と、

体感することが出来ました。

 

これは、よく瞑想の先生とかが言うような言葉ですが、

私は今まで頭では分かっていたし、意味も理解していると思っていました。

しかし、体感して全く分かってなかったことが分かりました(笑)

 

私はダメな人間だ…とか、私は役に立たない…とか。

どんなに苦しくて辛い気持ちが湧きあがってきても、

私の「気持ち(感情)」に関係なく、体は「勝手」に生きている。

「どうしようもできない」「なるようにしかならない」

「なるようにしかなっていない」と気付いたのです。

ひらめき

ひらめくブタ…

そうしたら、なんだか「無力感・無価値感」の感情に振り回されて、

苦しくなっている自分が急に可笑しくなってしまいました。

 

そしてその後「何があっても大丈夫なのだ…勝手に生きてるのだから…」と、

自分でもちょっとよく分からない「安心感」が芽生えたのです。

すると、自己肯定感があっても良いし、無くても全然大丈夫…。

自分に価値があっても無くても、なんかもう大丈夫…。

とにかく、どうやら大丈夫なのだな…、と思えるようになったのです。

 

負の感情に対しての、完全なる降伏だったかもしれません。

実はこれまで「無力感・無価値感」の感情が湧いてきたときには、

そうは言っても「私には価値があると思いたい自分」がいたんです。

けれど今回は、あまりに長くしつこい、苦しい感情だったので、

「もう好きにしてください…」という「まな板の鯉」状態でした…(;^ω^)

もしかしたら、それが逆に良かったのかもしれませんね。

自己肯定感は本当にいらないのか…?

さて、このような体験を経て、

「自己肯定感なんていらなかったんじゃん。

なんか今までやってきたワークって全て無駄だったかも…?」

なんて思ったりしてしまいました…(笑)

 

実際、自己肯定感を上げることなく、

この過程を経ることは出来そうです。

何故なら、私は「無力感・無価値感」を必要以上に恐れて、

かなり遠回りしてしまいましたが、

だるかったりツラかったりした時も、

無理して頑張ったり努力したりしないで、

もっとサクっと自分のネガティブな感情を受け入れていれば、

こんなに時間がかからなかったように思えるからです。

 

ただ、漫画の中のセリフで

「昔の私だったら、感情に押し潰されて発狂していたかも」

という部分があるのですが、

過去の自分が今回の感情を感じ切ろうとしたら、

たぶん「自己否定の攻撃」に耐え切れず、

発狂しておかしくなっている可能性も無きにしも非ずです(;^ω^)

 

つまり、感情を感じることに慣れてきたこと、

自己を否定する声を客観的に眺められるようになってきたこと、

自己肯定感が少なからず上がったこと、

 

これらがあったからこそ、

今回、無力感や無価値感に向き合うことが出来たのかもしれません。

自己肯定感が低い人が目指すべきゴールとは?

ところで、私の主人は元から自己肯定感が高いのですが、

ここまで私が感情に振り回されることが不思議でならないそうです(笑)

分かりやすくするために、漫画では「紫色のハート」を

「無力・無価値感」として表現していますが、

このような「自分を責めるもう一人の自分」がいるなんて、

信じられないし、こんなのいないよ…とよく言っています。

 

私が初めてその言葉を聞いたのは、

田房永子さんのマンガ「母がしんどい」を読んでいた時です…。

www.cmoa.jp

私は逆に、その言葉が信じられなかったのを今でも覚えています(笑)

元から主人は生きやすそうな人だなぁと思っていましたが、

(本人も生きることが苦しいなどとは思ったことが無いと言っています。

ただ、面倒くさいしダルイらしいです(笑))

自己肯定感が高い人と低い人には、

これ程の差があるのかと思い知らされました。

どんなに私が自己肯定感を上げようと努力したところで、

元から高い人には決して追いつけないんだろうなぁ…とも、感じました(;^ω^)

 

また、主人は「そんなに深く、色々と考えたことがない」とか、

「生きる意味や価値について悩むのも良く分からない」

ともよく言いますが、自己肯定感が低い人の、

最終的なゴールはここなのかな?と思ったことがあります。

つまり、そのことについて「意識しない」という状態です。

 

「自己肯定感を上げたい」と思っている人は、

「自己肯定感が低い」というのを信じているからこそ「上げたい」のです。

でも、自分の自己肯定感に満足してる人は、

そもそも自分の意味や価値を「上げたい」とは思わないはずです。

「幸せになりたい」という願いも、

「自分は幸せじゃない」と信じているからこそ、それを願うのです。

 

つまり、最近それを「意識しない・考えていない」という状態になった時、

欲しいものは得られているのかもしれません。

 

そういう訳で、これからもこの調子で感情を感じ続けて、

自分を受け入れる作業を地味に続けていきたいです。

そしていつか、あーだこーだと悩まずにいられる自分でいたいと、

心から思うのでした(*´ω`*)