あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

嫉妬をするのは承認欲求が満たされてないから…!

嫉妬心 エッセイ漫画

嫉妬心 エッセイ漫画

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「認めて欲しい」って気持ちが嫉妬心を生むんだね!

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ただいま何回かに分けてエッセイ漫画「嫉妬心を解消する方法」に沿って記事を書いています。

七回目の今回は「憧れと嫉妬の違い」から「なぜ嫉妬してしまうのか」について考察しています。

同じ「違い」でも苦しくない…!?憧れと嫉妬について

前回の記事では、嫉妬をしてしまう時、まず相手と自分は「違う」と認識してしまったのが全てのはじまりだというお話をしました。

けれど、同じように「違い」を感じても、苦しまない時があります。

例えば「憧れ」という感情がそれに当たりますよね。

同じように「違い」を感じているにもかかわらず、憧れは苦しくありません。

一体それはどうしてなのでしょうか?

嫉妬している時は自分が「負け」を認めていない状態だった

憧れも嫉妬も『ある特定のものに「価値」を与えて相手を「羨む」』という部分においては同じだと思います。

けれど「憧れ」は雲の上のような存在というか、自分には手が届きそうにない人にする傾向が多いような気がします。自分はまだまだ全然そんな風になれないけど、それに向かって頑張っていきたい…!という気持ちになり、ポシティブで前向きな気持ちが起こる時さえがあります。
一方、嫉妬はもっと身近というか、今までなんとなく一緒の位置にいたような気がするのに相手に一歩先を進まれたというか、「私だって本気を出せば出来るかもしれないのに~!」というような気持ちがありますよね。
つまり、どちらの感情も特定のものごとを「上下・勝ち負け」で見ているのですが、憧れは完全に自分が負けを認めていて、嫉妬はまだ負けを認めていない状態であると気付きました。

もしも、自分が負けを認められれば「認められなくてもしょうがないよね」と素直に思って「良いなぁ!」「私も頑張ろう!」となり嫉妬心さえ起きないかもしれません。

そして、相手に「どうやったらそれが出来るの?」と教えてもらう事だってできます。

しかし、負けを認めていないと「私も認められて良いはずだ!」「私も認められるべきだ!」という承認欲求が湧いてきてしまいます。

私が長年「負け」を受け入れることが出来なかったのは(逃げていたのは)、プライドの高いということもあると思いますが、「自分がダメだ」という意識があまりにも強かったので「負け」を認めると「立ち直れない」という恐怖もあったように思います。

嫉妬がするのは、承認欲求が満たされいないから…!

相手が周りの人に認められているのを目の当たりにした時「私も認められたい!褒められたい!」という「承認欲求」が湧いてきます。

けれど、思うように満たされないことで、とてもネガティブな感情が湧きあがります。

今まで、私自身は嫉妬をした時この「承認欲求」が湧いてくるということは自覚していたのですが「あの子のように努力してないのに認められたいと思うなんて悪いことだ!」とこれまた承認欲求が湧いてくることさえ否定してしまったのです。

それは、小さい頃から「条件」が整わないと自分は愛されないという思い込みがあったのも原因かと思いますが、このように承認欲求が湧いてくる度に「この程度で認められたいと思っちゃいけない」と、どんどんその気持ちを抑圧していたのです。

承認欲求が湧いてくることさえ否定し、尚且つ、自分が思ったように満たされないから、それはそれは負のループに入っていたことと思います。

承認欲求が満たされれば嫉妬は解消できるのか…?

嫉妬をするのは「承認欲求が満たされてないから」ということが分かったのだから、それならば「承認欲求を満たせば嫉妬は解決するのでは…?」と思われるかもしれません。確かに、承認欲求さえ満たされれば気持ちは満足するハズですから、嫉妬は解消できそうな気がしますよね。

そのため、次回は承認欲求を満たすことについて考察していきたいと思います(*´ω`*)

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