あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

人との交流によって得られる沢山の気づき

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

先々週から農作業がぼちぼち始まったのですが、暑くてバテバテだった夏に比べて、秋の涼しさ、寒さには全く抵抗が無く、気持ちよく作業が出来ています(*´ω`*)

休憩の時間には流石農家さん!という感じで、自分では手が出せない高級なブドウやらリンゴやら沢山いただけて、なんか違う方面から秋を満喫してる感じです。

農作業

お土産で端折りのリンゴや梨をいただく…♪

農作業でのおしゃべりは、気づきがいっぱい!

ところで、農作業をするときはラジオを流してお喋りしながら手を動かす訳なんですが、その際、やっぱり各家庭の話になるんですね。

で…、私がそれらの話を聞いて、いつもしみじみ思うのは「みんな本当に家族の中が良いんだなぁ…( ゚Д゚)」ということです。

例えば「娘と毎日LINEしてる」とか「一週間に一回、電話がかかってくる」とか…。

農家さんのご家族もとても仲が良くて、お母さんと息子さんが冗談を言い合ったり、寝顔を写真で撮るとか、そういう仲良しエピソードが出てくる訳です。

正直、私からするとこれは「信じられない!」という感じなんです…(;^ω^)

この方たちにとって「家族」とは本当に「大切」で「安心」出来る存在なんだなぁとつくづく思います。

沢山の人と交流して、「自分」とは何かを理解していく

一方、私自身の実家はどうかと言えば、連絡を取り合うのなんて半年に一回くらいで、特別な用事があるとき以外は連絡をしません。

(家族LINEはあるので「お誕生日おめでとう」ぐらいはたまにありますが…(;^ω^))

親に関して思う気持ちは過去には色々とありましたが、内面を見つめて浄化ワークをしていった結果、今はネガティブな感情もなくなり、なんというか、好きとか嫌いとか、そういうのは特になく、普段は思い出さないくらいの存在なんですね。

「しっかりした人たちだから、なんかあったら連絡してくるだろう」ぐらいで、でも、親も年なんで「頼られたら全力で力になりたい」という気持ちはあります(*´ω`*)ですが両親は手術とかしても、術後の事後報告というレベルですし、こちらも何かあったら事後報告です。…本当にドライ(笑)

もともと、私にとって家族は「安心」というイメージはあまり無くて「社会人になっておのおの家庭を持ったら各自、自立」というイメージを持っています。

とにかく、よっぽどのことじゃないと親に頼るって気持ちにはなりません。

それは親も同じらしく、いつも「あんた達に迷惑をかけるつもりは無いけど、最後の始末は長男に任せるので遺産もそれに応じて不平等です」と言われています(笑)

 

で、私がこんなことを話すと向こうはびっくりする訳です。

「もっと連絡してあげな~」「喜ぶよ~」とか言われるんですが、私からすると「どうやったらそんなに気軽に親(子)に接しられるの?」って感じなんです。

「どうやったら、そんなに仲良くなれるの?」みんなと話していて、仲の良い姿を見ていて、純粋に不思議なんです。分からないんです(;^ω^)

本当に、冗談でなく違う生き物を見ているようなんです…(笑)

 

今、私が接している方たちは、世間で言われるところの、ある意味で常識を持って充実してきた人生を送ってこられた方たちです。

年配の方が多いのですが、例えばラジオの人生相談なんかで「死にたいんです」というような相談があっても、私が「わかる、まるで自分のことのようだ」と感じるところを「結婚もして子供もいるのに何いってるのかしらね!?バカじゃないの」という感想なるんです。

ここで私が言いたいのは、決してそのような発言を批判しているのではなく、これ程までに「生きる」という姿勢と考え方が違うのだな、ということを気づかされるということです。

そして、そのように発言する方が嫌な人なのかというと全くそんなことは無く、むしろ陽気で気で楽しい方なんです。「悩まない、活動的、元気!」ネガティブさが無いので、一緒にいてとても楽ちんです。

自分とは違うタイプの人、違う価値観の人に出会うたびに、このような気づきを得られるのは、私にとって本当に大きな収穫なのです(*´ω`*)

人間関係の悩みは、自分内面を見つめるチャンスでしかない

ところで、まわりの人の人生経験の話を聞くと、自分の人生はなんて退屈で生産性が無いんだろうと感じられます。

ですが、悟りの方面の知識を学ぶこと、瞑想をしていくことで、彼らと自分の人生を比べて、そこの思考に巻き込まれて悩むということは、もう、終わりを迎えている気がしています。(悩みの根本原因をネタバレしてもらっているので…(笑))

目のまえに起こる現象は、人それぞれ本当に違うのだと改めて感じると同時に、やはり、人と関わり、何か違和感や嫌な気持ちが出てくると、内面を見つめるチャンスでしかないと思わざるを得ません。

人間関係の悩みを通して得られる、祝福

小さい頃から人付き合いが苦手だったので、人間関係の悩みが尽きませんでした。

「極力、人と関わらなければ良い」という選択肢もありましたが、そうする方向にいかなかったのは「自分とは何か」というのを知るためだったと今では思います。

人間関係の悩みを通して、他者を「鏡」として内面を見ていくワークは、自分を赦し受け入れていくことです。

やったことがある人なら分かると思いますが、これは本当に楽になるのです。

私が他人から良く言われる言葉の一つに「自分のことを客観的に見て、分析して凄い」というものがあるのですが、これは今一緒にお仕事をしてる仲間にもよく言われます。

そうせざるを得なかったからやってきたことであり、それは特別なことではないと思っていますが、心のことに興味が無い人と交流することで「皆そんなことやってないのか…」ということにも改めて気づかされたりもします。

自分にとって嬉しい人間関係、出来れば避けたい人間関係、そのどちらも、とにかく気づきを与えてくる人たちとの交流に対して、心の底から感謝する気持ちがあふれるように湧いてくるここ最近です(*´ω`*)