あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

春の訪れと瞑想

福寿草

気付いたら、春がやってきた…♪(*´ω`*)

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

昨日と今日はとても暖かかったですね~♪(#^^#)

週末は家を空けていたのですが、帰ってきたら福寿草が咲いていてビックリ!

風もビュービュー吹いているし、もう春ですね…♪

(といって、油断してるとまた寒くなるでしょうが…(笑))

 

そんな訳で、ポカポカと気持ちのいいお天気だったので、疲れてヘトヘトだったのですが、近くの公園へ日光浴に行ってきました。

公園 瞑想

いつもの丘の上の公園です(*´ω`*)

平日ということもあり、ガラガラ…。大自然を独り占めです(笑)

そして、とにかく甘いものが食べたくて、近くの喫茶店で美味しい珈琲とマフィンをテイクアウトして青空の下いただきました☆☆

瞑想 公園

後味がスッキリでとても美味しかった!

太陽の下で、自然の中で美味しいものを食べると、とても元気になりますね♪♪

エネルギーチャージです!

珈琲を飲んで目も覚めたので、せっかくなので瞑想することにしました。

瞑想 公園

早速、活躍する「坐蒲(ざふ)」

一時間半くらい座っていましたが、とても気持ち良い時間を過ごせました…♪

観察するとだんだん分かってくるのですが、私達は頭の中で、常に「過去」か「未来」について考えています。いつも「今」にいません。

ですが、思考が静かになってくると、目の前に映るものが全てなのだなと気づきます。

 

瞑想を始めて、一番大きく変化したな~と思うことは「集中力が上がった」とか「楽になった」とかではなく「現実的になった」というのがあります。

これはどういうことかというと「脳内妄想に捕らわれず」「頭の中で考えていることを、信用しなくなった」ということです。

思考(自我)はいつも「不安」になるための材料を探しています。

そして、いつも「悩もう」としています。

私はこれまで、この脳内での考えや感情にいちいち向き合い、語り合ってきました。

もちろん、それは当時の自分にとって「セラピー」的な意味で必要なことでした。

しかし、自我(思考)の正体に気付いてから、師の指導もあって「思考や感情をつかまず放っておく」ことにシフトしています。

空の青さの中に雲が流れていくように、この体も思考も音も香りも、ただ現れ消えてを繰り返しているんですね…(*´ω`*)

瞑想 公園

木の静けさを感じる

なぜ人は苦しむのか。なぜ争いはいつまでも無くならないのか…。

この世界は何なのか。生きる意味とはなんなのか。

この疑問が解消できただけでも、私は瞑想をしていて良かったと心から思います(^^)

 

ぽかぽかになっていく春の季節。

外で瞑想できる日がふえていくこと、これから本当に楽しみです。