こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。
最近、お仕事先でスポーツの話を沢山したからでしょうか、急に体を動かしたい衝動が襲ってきて、今日はとある高原にあるアスリートの方向けのスポーツ合宿施設で、思いっきり泳いできました!
何でわざわざそんなところに行ったのかというと、近所の市民プールだと25mで物足りないですし、人も多いし、爽快感が無いからです(笑)
あと清掃に関して、私は脱衣所の「髪の毛が毛だらけ~」が、大の苦手で…!(;´∀`)
案の定、その施設はとっても綺麗で、場所も場所なので、一般利用の時間帯も私を含めてたったの4人で貸し切り状態でした…♪
50m8レーンで水深2m、水の透明度が抜群で、身も心も洗われるようで最高に気持ち良かったです~♪
それにしても、運動して息を切らして苦しくなると、なんかめちゃくちゃ生きてるな~という感じがします(笑)
私はある時期から、とにかく生きる意欲とやる気が全く湧かない感じがつづいているのですが、運動して呼吸が苦しくなると「それどころではない!」と、この身体は必至で生きようとするんですね。
こういう体の気付きに加えて、瞑想を続けていく中で、「生きる意欲」についての考えも、近頃はかなり大きな変化がありました。
なので、今日はそのあたりのことを、軽~く書いてみたいと思います。
生きざるを得ない…「生」を肯定した瞬間
生きることについての私の本音は今も昔も「この世は地獄だ。もうウンザリだ。早く死にたい。もう二度とこの世に生まれたくない。」というものですが、瞑想などをしていく過程で、
「あ、頭の中で何を考えても、勝手に生きてる。」
と、全身でパッカーンと理解した瞬間があったんですね。
人によっては「え、それって当たり前じゃないの?」って思う方もいるかもしれませんが、「生」を否定し続けていた私にとって、それはかなり大きなことだったんです。
それまで、言葉は理解しているものの、自我(私)が納得していなかった部分に対して、心の底から納得したのだと思います。
この何てことない「気づき」以降、私は生きることへの意味や価値を問うことを完全に辞めたというか、終えました。
そして「生きざるを得ないので、生きよう」と、ストンと腑に落ちたのです。
別に「よぉおぉおおし!!頑張って生きるぞぉおお~!」とかではなく、ただ単に「仕方ないので、生きよう」という感じです。
そして、どうせ生きるなら「苦しいより楽な方が良い」と思いました。
例えこの世界が地獄であっても、出来るだけ楽な方が良いので、苦しくない程度に努力して、いい状態を維持出来たらいいな~…、くらいの感じです。
ですが同時に、この世界ではそれが出来ない(思い通りにはならない)というのは承知の上で…、です。
このように、生まれて初めて「生きること」を認めたというか、肯定した瞬間、とても温かいものが流れ込んできたように感じました。
そして、それは今も静かに緩やかに、日々の生活の中でふっと顔をのぞかせます。
やらざるを得ないことを、ただやればいい
小さい頃から「あなたの夢は何ですか?」という質問が苦手でした。
幼稚園の時も小学校の時も中学校の時も…、何が何でもやりたいことや、なりたい姿が浮かんでこなかったからです。
その時、その時では「あれやりたい、これやりたい」というのはあるのですが、その情熱はどれも長続きせずに興味を失ってしまい、長期戦で「未来」のことを考えて「今」をどうするかを決めることが出来ませんでした。
「こんな苦しい思いをしてまで、続ける意味と価値はあるんだろうか…?」
そんなことをいつも考えていたように思います。
こんな自分を長い間、恥じてきました。
根性が足りないとか、決断が出来ないとか、継続力が無いとか…。
ですが、今では過去の自分は、ただただ「素直」だったのだなぁと思います。
そして、この道を歩み続ける私にとって、それはそれで良かったのだろうと、とある方との会話で、気持ちの決着がついたような感じがしています。
最近では、内から何度も湧き出てくる衝動があって、面倒くさいのでずっと放置していたことがあるのですが、「生きる」ことを肯定したことをきっかけに、地道に進められそうな感じはしており、これも「せざるを得ない」という感じです。
ただ生きてる、ただやっている。
そのとき、そのとき、やらざるを得ないことをやっていればいい。
最近は開き直りとかではなく心からそう思いますし、そんなシンプルさが、心地よい毎日です。
今日も「ただ泳ぎたい」という気持ちに素直に従ったのですが、とても良い気分転換になりました。
明日は温泉です…♪
繁忙期を前にちょっと癒しの旅へ行ってきます(*´ω`*)