あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

「愛」についての、とある体験

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです(*´ω`*)

大分ご無沙汰しておりますが、皆さま、お元気でしょうか?

私はというと、前回の記事にもちょこっと書きましたが、今まで地味に悩んでいた体の持病で入院&手術をして、その後は無事に回復!

今はお仕事を掛け持ちして休みが全くない状態が続いております…(笑)

忙しいのですが、どちらも好きな仕事内容なのであまり辛くはなく、むしろ「こんな自分にお仕事を与えてくれて本当に嬉しいし、ありがたい!!」という感謝の気持ちでいっぱいです♪

ただ、寝不足になると朝に吐き気がきて、心身ともに疲れるので、とにかく毎日、良く食べて早く寝るようにしています ( ˘ω˘ )zzz.

瞑想は疲れすぎている時は寝ちゃってますが、ゆるゆるやっていますよ。

 

さて、そんな感じでバタバタと過ごしていますが、先日、朝の車で通勤中に、突然タイトルについてのちょっとした体験がありました。

といっても、大したことでは無いのですが、自身にとってずっとテーマだった「愛」というものが何なのか、というのが何となく腑に落ちたんですね。

愛が無い「私」

私は小さい頃から、自分には「愛が無い」「なんて冷たい人間なんだ」という風に思うことが良くありました。

まぁ、とにかく性格も悪く我儘な人間だったので、自分の思考の中に流れる自分の非情さや冷酷さを目の当たりにして心底ウンザリしていたんですね。

そのため、身近にいる「優しくて愛が溢れてるような人」を本当に尊敬していましたし、自身もそうなれれば良いな、なりたいな、と思っていました。

心の勉強をしたり瞑想をしていく中で、もはや「愛が無い自分」について悩むことはしなくなったのですが、それでも、「愛」は自分の中で大きなテーマの一つでありました。

「愛」と「恐れ」

それで、具体的にどんな体験をしたのかというと、車の運転中に「とあること」について考えるともなく考えてたんですね。

いつもの如く「考えているな~」と眺めていたんですが、突然「!!!!」となって、「そうか!だから、愛の反対は「恐れ」なんだ!!」というアハ体験のようなものが起こりました。

今まで自分が学んできて、分かったようで分からなかったことが繋がった感じでした。

そして、全身に鳥肌が立ち涙が溢れて、同時に笑いがこみ上げてきて、泣き笑いが止まらなくなりました…(笑)

「なんだ、ちゃんと「愛」はあるじゃん!よかった!本当によかった!」

誰にでも、全てに「愛」は「在る」ということ。

もう今はそんなことないのですが、その時は「今、幸せだ!」と心の底から感じました…(*´ω`*)

まぁ、とにかく不思議な体験でした。

何の前触れも無かったので、電車とかじゃなくて車の中で本当に良かったです…w

「愛」とは何か…?

で、結局「愛」ってなんなの、って感じだと思いますが、すみません。

ぶっちゃけ、なんかもう、よく覚えてない感じなんですよね…(笑)

「オイ!」って突っ込まれそうですが、とにかく、ただ言えることは「愛が無い人はいない」ということ、「誰もが愛を求めている」ということだけです。

で、愛は本当はもう何をしなくても「在る」んですが、「愛が在ることを思い出す」ために、私たちは日々、交流して、繋がりを求めいるんだなと感じました。

「赦し(受け入れること)」についての確信を持つ

そして、この体験を経て、これまで奇跡講座で学んだこと、今も変わらずっと続けていることが「やはりこれしかない」という気持ちを強くなりました。

というか、これ以外することは何もない、ということです(笑)

目の前で起こること、目のまえに現れる人…。

あらゆる体験を通して、私たちは結局、一つのことしかしていません。

だから、何をやろうがどこにいようが、本当に何でも良いのかもしれません。

今、目の前に現れていることを、そのまま受け止めればいい。

これからも日々、学びをゆるゆると続けていきます~♪(*´ω`*)