こんにちは、あのたまです…♪(*´ω`*)
冬の厳しい寒さがだいぶ和らいできた今日この頃ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
私はこれまでと打って変わって時間にゆとりが出来たので、家のことを整えたり、お友達と遊んだり、温泉旅行に行ったりなどして、心身共に休息を取っていました。
まぁ、これらのことはいつもやっていることですが、実はそんな中で、今年からこれまでの人生で一度も予想しなかったことを始めています…(笑)
それはなんと、なんと…!「聖書」の勉強です~!(#^^#)
- イエス様に導かれて…?聖書の勉強を始めました!
- クリスチャンになる条件や定義とは…?
- 「私が道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)
- おまけ☆「Amazing grace(驚くばかりの神の恵み)」
イエス様に導かれて…?聖書の勉強を始めました!
「聖書」というと、キリスト教で使われている教典の、あの「聖書」です。
読者の方の中には「なんで、そっちの方向へ!?」と、思われる方がいらっしゃるかもしれません…(;^ω^)
そうなんです!実は当の本人も、今でこそ「記事に書こう」という決意が出来たものの、つい最近までは、地味に心が揺れ動いておりました…(笑)
ですが、聖書を読めば読むほど、「この道で間違いない」という確信が、日に日に強くなっていますので(宗教とかではなく、「本の中身」が…です。)、今日はそのことについて書いていこうと思います~☆
きっかけは、作家の曽野綾子さんの「新約聖書講座」(Youtube)から…
これまで、私は自身の生き辛さをどうにかしようと、「答え」のようなものを求めて、自己啓発やスピリチュアル(ニューエイジ)→奇跡講座→悟り・非二元→瞑想の勉強をしてきました。そして、瞑想である程度の「体験」があった段階で、私の「真理の探究」はもう終わったものだと思っていました。
というのも、非二元・瞑想の勉強と実践を経て「思考=自我」と理解したことで、「人はなぜ生きるのか?」とか「死んだらどうなるのか?」と「色々と悩んで思い煩って考えても、それはただの思考(自我)」「考えるだけ時間の無駄なのだな」と感じたからです。
そのため、その当時は、もはやこの世界で特別やりたいことも興味のあることも無かったので、「普通に生きよう!」と決意して、お仕事を始めた次第です。
ですが、昨年の12月、たまたまYoutube で、作家の曽野綾子さんの「新約聖書講座」という動画を見つけたんです。(この動画は、何年も前に、NHKでやっていた番組を誰かがアップロードしてくれたものだと思います。)
何度かこのブログで書いているので皆さんご存知かと思いますが、私は作家の曽野綾子さんのが好きで、ペンネームの「あのたまこ」もそこからきてるんですね(笑)
なので、その時もたまたま、動画の内容より「曽野綾子さん」が何を語っているの知りたくて見ていた次第です。
↓↓↓因みに、その時、見ていた動画がコレ(#^^#)
イエス・キリストを信じて、世界が変わってしまった
曽野綾子さん自身はカトリック教徒ですが、クリスチャンではない一般の視聴者を意識してか分かりませんが、動画内でイエス・キリストが生涯の中で行われた様々な「奇跡」(食べ物を増やしたり、病を治したり…。)については、かなり現実的な意見で説明していました。
私自身も、動画を見ている段階では、そこについてはあまり気をとめてなかったのですが、それよりも「イエス・キリストが何故、十字架で死んだのか」ということを学び理解した時、滝のような涙がとめどなく溢れ、これまで感じたことの無い強烈な愛に包まれたような心地を味わいました。あれほど感動したのは、生まれて初めてかもしれません。
イエス・キリストについては、これまで、小さい頃から歴史の授業で学んだり、本やら映画やら、ある時期では奇跡講座などから「なんとなく」その存在と教えを耳にしてはいました。
ですが、動画を見た後は、もはや「なんとなく」では無く、より詳しく「イエス・キリストのことが知りたい」と思ったのです。
「福音」を信じて「救われる」
それ故、イエス・キリストをもっと知るにはどうすればいいかと考えたら、とりあえずYoutubeで牧師先生がやってる「聖書講座」を見てみよう!となった訳です。
そのうちに、同時並行でスマホアプリで無料で聖書が読めることが分かり、ダウンロードして「新約聖書」から読み始めました。
そうしたら…、もう目から鱗…!Σ(´∀`;)
「イエス・キリストがこんなことを言っていたなんて!!」
「聖書って、思ってたのと違う!!(笑)」
「聖書」という本は、昔ビジネスホテルとかで読んだことあったんですが(机の引き出しに入ってる時ありません?)、その時は「旧約聖書」からチラッと読んで、なんかよく分からなくてそれで終わってました。
ですが「新約聖書」読めば読むほど「これこそ私がずっと求めていたものだ!」と思わずにはいられませんでした。
そして、いわゆる「福音」というものを知ります。
皆さんも、キリスト教で「これを信じれば救われますよ~」というものを聞いたことがあると思いますが、その3要素です。(①キリストは、私たちの罪のために死なれたこと、②キリストは葬られたこと、③キリストは三日目によみがえられたこと)
過去の私なら③「キリストは三日目によみがえられたこと」という部分にかなり抵抗すると思いますが、その時の私は先に「イエス・キリスト」の行動と言葉を完全に受け入れて信頼していたので、その3要素に関しては、あまり大きな抵抗も無く、信じちゃったんです。
そして、私は「救われた」のです。
渇いた心が潤っていくような感じで、全身で「愛」感じた体験でした!
そして、信じた後はどうしたら良いのか分からず、聖書の勉強は続けていたものの、とりあえず、動画で勉強させてもらっている牧師さんがオススメ通り、地域の教会に、通うことになったのでした(^^)
クリスチャンになる条件や定義とは…?
ところで、イエス・キリストを信じた後、色んなクリスチャンの方々の動画などを見て「自分は今どういう状態なんだろう…?求道者…?イエス様を信じた人…?キリスト教徒…?クリスチャン…?」と地味に悩んでいたんです。
そんな中、ネットでご縁があったクリスチャンの方(神学校を卒業して「聖書」をベースに活動されている方)に、下記の聖句を引用して説明していただき「あなたはもうクリスチャンですよ(#^^#)」と教えてもらいました。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は、心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
(ローマ人への手紙10章9節)
福音を信じて主イエスに信頼を置いた時点で、「クリスチャン」なんですね。
「あなたはもう私の兄弟ですよ!」と言っていただいた時は、びっくり恥ずかしかったけれど、嬉しかったです(*´ω`*)
ただ「聖書」ではそう書かれていますが、「キリスト教」になると教派が色々あるので、教会によってはその定義や条件は違うかもしれません。
「洗礼」を受けないといけないだとか、「教会籍」が無いといけないだとか…。
因みに、私が通っている教会では、そのことについてまだお話ししてないので、どういう扱いになってるか分かりません…(;^ω^)
まぁ、いまの段階では「聖書を読むこと」の方が大切だと思うので、どっちでも良いかな~…という感じです。
「宗教」ではなく「聖書」に信頼を置いているので、まずは聖書の内容をしっかり理解していきたいと思います(*´ω`*)
「私が道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)
さて、ここまで書いてきましたが、いかがだったでしょうか…?
私自身は、小さい頃から、少なからずイエス・キリストに興味はあったものの、まさかこの年になってから教会に通ったり、本気で聖書を学ぶ日がくるとは、思いもしませんでした…Σ(´∀`;)
ただ、私はある意味で、行き着くところに行き着いたのかもしれません。「真理の探究」に対して、イエス・キリストご本人が、そのことについておっしゃっている言葉があるんです。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)
アーメン。本当にその通りです。
小さい頃から抱いてきた、この世界での生き辛さや、悩み、苦しさ、孤独感。
私(人間)とはなんなのか。どこからきて、どこへいくのか。
その全ての答えが、「聖書」の中にありました。
イエス・キリストの恵みと愛に、心からの感謝の気持ちが止まりませんね…(*´ω`*)
という訳で、通読するまでは、今後しばらく「聖書の勉強」が生活の中心になりそうなので、また、聖書のことについて、というか、「心」のことについて、これからも書いていけたら良いな~と思います…♪
以上、近況報告でした(*´ω`*) また次の記事で~!
おまけ☆「Amazing grace(驚くばかりの神の恵み)」
この曲は、誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
私自身も、大好きなシンガーソングライターのKOKIAさんを通して、今まで何度も聞いていた曲です。
ですが、イエス様を信じた今、もはや全く違った曲に聴こえます…!
歌詞の意味がよく分からなかったのですが、今ではわかりみが凄いです…(*´ω`*)
ハーモニーとアレンジが良いので、良かったら聞いてみてください♪ ↓↓↓
驚くばかりの神の恵み
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから 心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか
これまで数多くの危機や苦しみ 誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは 他でもない神の恵みであった