あのたまの漫画ブログ

自分の気付いたことや感じたことをエッセイ漫画にしています。

相手(兄弟)を通して、癒される(赦される)日々

こんにちは、あのたまです(*´ω`*)

前回の記事から大分ご無沙汰しております、皆さんお元気ですか?

私は相変わらずで、お仕事と瞑想を軸としたシンプルな日々を過ごしています。

今は休憩時間中で、窓の外はしとしと雨が降っています。

雨粒が葉っぱにこすれる音がとても心地良いのですが、まだ10月だというのに、ちょっと寒すぎです…(;^ω^)(in軽井沢)

私は人一倍寒がりなので、もうそろそろ湯たんぽが無いと夜は眠れない感じになりそうな予感がしていますよ(笑)

 

さてこんな具合に肌寒さの気配を感じつつ、自然のBGMが心地良いので、今日は「人を通して得られる癒し」についてのお話しをしていこうと思います…(*´ω`*)

相手(兄弟)を通して、癒される日々

皆さんはどんな時に「癒された~!」って気分になれますか?

自分を癒してくれる対象や出来事は人それぞれ違うと思いますが、私の場合は美しい自然の景色だったり温泉だったり、美味しそうなご飯の動画や可愛い動物の動画だったりします。

疲れた時にそうやって「ほ~っ」とさせてもらえるのは、本当にありがたいことだといつも思うのですが、どうして、自然や動物は私たちを癒してくれるのだろう?と考える時がたまにあります。

そして、その答えとしては、彼らには意図した「攻撃」が無いからだと、個人的には思っています。

人間の意図した攻撃…すらも「自然」に起きている

雨が降らなくて水不足になったり、台風が来て建物壊れちゃったり…。

自然は災害という形で、ときどき、人間を傷つけたり苦しめたりすることがあります。

ですが、人々は一時的にそれに対して憤慨しても、心のどこかで「どうしようも無いよね」という諦めの気持ちを持ち、その怒りの矛先をいつまでも自然に向けたりはしませんよね。

というのも、たぶん自然が「人間を懲らしめてやるぜオラオラ~!(#^ω^)」という風に、意図してそれを起こしているとは感じないからです。

 

ですが、「人」に対してはどうでしょうか…?

私達は「自然や動物」に対しては、「まぁ、しょうがないよね」という感じに接することが出来ますが、「人」に対しては赦せない気持ちでいっぱいです。

何故なら「人間は理性を持って、自分の思考や感情をコントロールできるはずだ」と思い込んでいるからです。

「本当はこうできるはずなのに、こうできないお前は間違っている。悪い奴だ。許せない」なんてね。

 

災害が起きた時、最終的には「人(政府)」に対して怒りの矛先が向くのも、そういう理由からかもしれません。

訴訟とか賠償問題とか、もちろん保証的な意味では必要なことだと思います。

ですが、いつまでも根に持ってしまうのって、これって本当はおかしいんですよね。

 

というのも、私達は自分自身をコントロール出来てると思い込んでいるだけで、実は思考も感情も行動も、全くコントロールなんて出来ていないからです。

人間が持っている(ように見える)意図した攻撃性ですら、これも自然に起こっているだけで、起こることだけが起こっているだけで、実は自然と同じように、どうしようもないものなのです。

赦すか赦さないか、それだけだ…!

こんなことを言うと「じゃあ殺人は良いんですか?」とか「人を騙したり傷つけたりして良いんですか?」という話になっちゃうんですが、良いか悪いかの話ではなく、ただ、それが起こっちゃってるんですよね。

もちろん、被害を受けた側はたまったものではありませんけど、「相手を赦さない」ことで「一番苦しむのは誰か?」と考えてみてください。

私の師も言っているのですが、それは本当に「自分自身」なのです。

私もこういう学びを続けているので身を持って経験していますが、「赦す」ことで癒されるのは「私」自身なのです。

人に対して攻撃的なエネルギーを持つことは酷く疲れることです。

相手のことをずっと考えて、イライラし続けるわけです。

それならば、いっそのこと、嫌だな、と思ったり、クソだな、と思う相手を受け入れて(赦して)みて欲しいです。

「私ばっかり損してる」と「自我」は思うかもしれませんが、赦しを通して得られるのは、「私も同じ」だという感覚と、赦しを通して自身が癒されたことで生じる相手に対しての「感謝」の気持ちです。

私は最近、実は周りの人間関係でかなりゴタついた日々を過ごしていたのですが「瞑想+赦し」で、メンタルを病まず深刻にならず済んでいます。

相手(兄弟)を通して、自分自身が日々、癒され(赦され)、気付きがいっぱいです(*´ω`*)

攻撃的な気持ちを持っていたのは、果たしてどちらだったのか…。

世の中の戦争について論じることも大切ですが、「目の前の戦争」から目を背けず、終わらせる必要があります。

「鏡を見てください、あなた、鼻毛が出てますよ!」

とは言いつつも、癒しのワークをしようと思ったり、やっぱり出来なかったり…。

そもそも、こんなことに興味が湧かなかったり、というのも、自然に起こっていることです(#^^#)

なので、こういうことに興味が無ければ、それはその人に全く必要がないことなので、する必要はありません。

せざるを得ない状況になったら、勝手にしちゃうと思うので、迷ったり悩んだりしている時間がもったいないですよね。

そして、癒しのツールは一つだけではありません。

そこへ至る道は色々とあり、瞑想もその一つだと感じています。

ですが、ひとつ言えるのは、相手を非難したり攻撃したり、あるいは、相手から避難されたり攻撃されたりすることがある(正確には攻撃されたと思っているうち)は、「鏡をみてください、汚れてますよ!」ということなんです。

あなたが鏡の前に座って「あらやだ、鼻毛が出てるわ!Σ(゚Д゚)」と言って鏡をゴシゴシこすっても何も変わらないように、嫌なら自分自身の鼻毛を取るほかありません(笑)

いつまで誤魔化し続けるのか…?

この世界でどのように生きていくかは、人それぞれです…(*´ω`*)

私の場合は心が穏やかになった今でさえ「人生楽しい!幸せ!」と思っておらず、最近は、買い物やら温泉巡りやら登山やらスキーやら絵画やら音楽やら、今まで楽しいなと思ったことすら、どんどん興味を失ってきています…(笑)

もちろん、一時的に楽しいことはありますが、でも「ただの退屈しのぎの行動なのだな~」と感じます。

まぁ、ぜんぜん、それで良いんですけどね(笑)

悟りや非二元、瞑想方面のコミュニティにいらっしゃった方は、めちゃくちゃ精神的に苦しくて辛いか、世の中の楽しみを味わいつくしたけど何か虚しいとか、もう自分の気持ちを誤魔化せなくなった人が多かったように感じました。

 

私もそんな感じなので、これからも、心について思うことを発信していきたいと思います(*´ω`*)