あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

祝☆聖書通読しました~♪♪

こんにちは、あのたまです~♪(*´ω`*)

ぽかぽか暖かい陽気が続いて、車が窓が花粉で黄色くなって春を感じられる日々ですが…(笑)

皆さん、いかがお過ごしですか?

私はというと、1月下旬からおこもり生活を続けて、前回の記事の通り、聖書に夢中になっていました。

そしてつい先日、ようやく聖書を読破することが出来ました~!!\ウレシ( *´ω`* )/

草津観光

お茶でホッと一息…♪

聖書は新約と旧約合わせて、約二千ページほどある分厚い本なので、読む前は「ちゃんと全部読めるのかなぁ…(;^ω^)」と正直ヒヤヒヤしておりました。

しかし、「お祈り」というものを学んでから、「読破できますように」と祈り続け、そのうち「3月末までには聖書を読み切るぞ!」という情熱が内から湧いてきたんですね。(年度末で区切りが良いので3月末までにした…!)

また、タイミング良く通っている教会でも「3月末までに通読した方にプレゼント贈呈!」というイベントをやっていて、執事の方から「頑張って!」「にんじん(ご褒美)が待ってるわよ!」とお声がけいただいたこともモチベーションの一つでした。

あとは「集中できる環境を自ら作った」というか、今まで自分の中にあった生活の優先順位を全てひっくり返した、というのもあります。

時間がたっぷりあったので、沢山のことを調べたり勉強したり、また、出会いもあって、それまで持っていた疑問等を質問をすることが出来て、信仰生活の「基盤づくり」をしたような2か月間半でした。

 

という訳で、記録として残すためにも、聖書通読に関することを、色々と書いていきたいと思いますので、もし良ければたらお付き合いくださいませ~♪(#^^#)

聖書通読の過程①旧約聖書が(個人的に)カオスだった件…!\(^o^)/

聖書は「旧約」が39巻、「新約」が27巻で合計66巻あります。

新約聖書」の方はイエス・キリストのご生涯や、弟子たちの手紙で構成されていて、イエス様とその教えに興味がある私にとっては(「ヨハネの黙示録」を除いては)大変、読みやすかったです。

ですが、旧約聖書に入ったら、難しい…!というか、「???(´•ω•`; )」という感じになってしまいました。

旧約聖書は、世界のはじまりからイエス・キリストが誕生するまでの歴史書や預言書などで構成されているのですが、まぁ人間がどうしようもなく愚かで残酷で、気持ち悪くなっちゃったんですね。(人間とはこういうものだよな…;つД`)という気持ちにはなりましたけど…。)あと、神様のことだとか、イスラエルの民との契約のことだとか、メシアの系図とか…!

名前もたくさん出てきて、覚えられない…(笑)

アダムとエバノアの箱舟モーセ十戒…など、ところどころ、たぶん皆さんも聞いたことがあるワードでなんとか読み進めていくものの、「レビ記」(祭司マニュアルのようなもの)「民数記」(民族の人口調査・旅の行程みたいなもの)で、もはや読み進むことが困難になりました。

動画配信の解説を聞きながら聖書を読む

そんな訳で、これはもう、一人でただ読んでるだけではどうにもならないと、読み方を変えることにしました!(;´∀`)

どういうことかというと、その巻、その巻を読んだ後に、下記のような牧師先生の動画解説を聞くことにしたんですね(*´ω`*)

(伝道団体の「ハーベストタイム」さん。かなり!お世話になっております。) ↓↓↓

youtu.be

これを聞きながら、もう一度、新約聖書から読み直し、聖書に書き込みをしながら読み進めました(*´ω`*)

聖書の勉強

ラインと書き込みが増えていく…。

60分でザックリ一つの巻がどいうものかを解説してくれるので、何が書いてあるのかとか、どこが大事な部分なのかが分かり、読んだ後にごっちゃごちゃになっていた頭を整理整頓することが出来て、本当に助かりました!

私の場合、この動画を見ながら読んでいくことで、新約と旧約合わせて通読するのに約二か月半かかりました「一日一巻ペースで読むぞ!」という気持ちでやってきましたが、その日その日、読む時間、読む量は気分で決めてました。(因みに、動画再生は二倍速です。)

後から知ったのですが、どうやら、聖書を読むには「聖書通読表」というものもあるみたいなので、そちらも利用するのも良いかもしれません!↓↓↓

biblestyle.com

聖書通読の過程②神に対して様々な疑問が浮かんでくる

さて、聖書を読んでいく中で、当たり前ですが様々な疑問が浮かんできました。

私は「イエス・キリスト」への興味から聖書を読み始めたのですが、旧約に入った途端に「神様こわすぎる!」ってなったんですね…(;^ω^)

「これ、本当に同じ神なの!?」という気持ちとか「信じないと救われないなら、日本人の9割は地獄行きじゃん」とか「何度も同じことを繰り返しているイスラエルの民って一体…」とか。

ただ、そういう様々な疑問を抱えつつ聖書を読んでいると、不思議とその答えを得られるような聖句に出会えるんですね。

あと、旧約聖書の方では、歴代誌以降は興味のある所から読んでいたので、ちょうど昨日疑問に思ってたところの答えを今日読む巻からいただく、ということが起こって、なんだか神様と対話しているような気持になりました。

と言っても、読み終えた今も、日々「なんで?」「どうして?」という気持ちが相変わらず湧いてくるのですが、ただひとつ、読み始めた当初に比べて、気持ちの中で一つの大きな変化がありました…、それは…。

「新約だけでなく旧約も、誤りなき神の御言葉と信じよう」

ということでした…(*´ω`*)

私はイエス・キリストを信じました。

なので、御子イエス・キリストが愛する父なる神なのだから、私もあーだこーだ言わないで、信頼しようと決めた感じです。

もちろん、盲目的にならず、今後もしっかり勉強していこう!と思った次第ですよ。

ハレルヤ~♪♪

聖書通読の過程③悔い改めとお祈りとデポーションと賛美歌

ところで、聖書を読み進めていくうちに、当たり前ですが、日々の生活にも小さな変化が起こりはじめました。

まぁ、分からないことを調べていくうちに、何度も同じ言葉が出てくるわけで、そのうち「自分もやってみたい、やってみよう」となって習慣化した次第です。

それが「悔い改め」と「お祈り」と「デポーション」と「賛美歌」です。

それぞれ、そのことについて書いてみたいと思います~♪

①悔い改め

よく「悔い改めよ~!」とか言いますが、まさしくそれです!(笑)

罪を告白して赦しを請うのです。

私の場合は、クリスチャンになる前から「投影の法則」で「赦し」やっていました。

そのため、ある意味で同じようなことはしていたので、その行為自体に全く抵抗は無かったのですが、向き合う姿勢がこれまでとぜんぜん違いました。

というのも、やはり、そこに「イエス様」がいるからですよね。

過去から現在まで、自分が覚えている限りの「罪」だと思われるものを、全て言葉にして一つ一つその情景を思い出しながら悔い改めをしていきました。

このことはいつか漫画にしたいと思っているのですが、私はこの体験を通して、いかに自分は神を憎み怨み、同時に神を愛していたのか、欲していたのかを、知ることになりました。

一週間くらい、集中的にやっていたでしょうか?

本当に、めちゃくちゃスッキリしたというか、なんか体の中にあったカスのカスのゴミまで取れたような感じです。

もちろん、今も毎日、気付いたらすぐに悔い改めをしてますよ(*´ω`*)

②お祈り

教会に通い始めた頃、日曜日の礼拝とは別に、「祈祷会」というのに参加したことがありました。

教会員の方々ひとりひとりに対して、また、世の中のことに対して、皆で一緒にお祈りする感じです。

「なんとなく想像はしていた」ものの、いざその姿を見たらびっくりしたというか感動したというか、「尊い…」と感ぜずにはいられませんでした。

決まった文句ではなく、皆さん一人一人、自分の言葉を通して祈っているのが印象的でしたよ。

ただ、私はその当時は「祈り方も分からないし、他者のことを祈る心の余裕が無いし、聖書を読み終えてからにしよう」という理由で参加を見送りました。

そして、知り合いのクリスチャンの方にお祈りを教えてもらったり、自分で調べたり、本を買ったりして、毎日、朝起きた後と寝る前に「お祈りの時間」を設けることにしました。

それは、そんなに長い時間じゃないのですが、お祈りをすると、とても心が満たされ平安な気持ちなります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ:5:16~18)」

この聖句は高校生くらいの頃に「心に響く世界の言葉」系の本を読んで知っていたので、そうでありたいとずっと思っていたのに、どうしても出来なかったことです。

でも、今はそう願わなくても自然に内からその気持ちが湧いてきます。

自分の力ではなく、神様に与えられた聖霊によって変えられていっているんだなぁと痛感しています。

③デポーション

Youtubeの動画で牧師先生の口や、ブログ記事などから度々出てくるこの「デポーション」という言葉。

最初は「何それ?」という感じで、よく意味が分かりませんでした。

しばらく経って、デポーション(devotion)とは英語で「献身」という意味で、「日々聖書を読み、祈り、神と交わること」を指すのだと知りました。

「ふむふむ、それならやった方が良さそうだ」と、当初はそれ用の本を購入するつもりでした。

ですが「本を開いて机に座って心を静めて…」というのは私にはハードルが高く絶対に続かないと感じて、またしても、無料で動画配信をしてくださってる「ハーベストタイム」さんの「デポーションガイド」に頼ることにしました…! ↓↓↓

message-station.net

ラインに登録すると、毎日朝7時に音声動画と解説が届きます。

とりあえず、まずは朝起きて洗濯したりお風呂掃除する時に音声を流して、2~3回、耳だけで聞いて、ひと段落したら机に座り、朝のお祈りと共にもう一度聞いています。

後から知ったのですが、この「クレイ」、利用している者同士「ポーションが祝福されるように」「弱さを覚えている方々のため」「とりなしのお祈り」をしてくださってたんですね。

私はこのクレイを聞き始めた最初の頃、エネルギーが無く精神的にもあまりいい状態では無かったのですが、聞く度に元気になっていったのを覚えています。

下記の動画に出会いクレイのコンセプトを知ったとき、本当に感動して、感謝の気持ちでいっぱいになりました! ↓↓↓

youtu.be

そういう訳で、私も今ではクレイを始める前、あるいは後に、この2つの「とりなしの祈り」をするようにしています。

聞いている人の人数も見られるので「こんなに仲間がいるんだ!」と思えるだけでも本当に嬉しいですね~♪(*´ω`*)

④賛美歌

音楽に関しては「静かでメロディーが分かりやすく、ハーモニーが好き」なタイプだったので、教会で賛美歌を歌えるのは嬉しい限りです…♪

ですが、日本語のプレイズソング、ワーシップソング(讃美歌のポップス版みたいなの)はちょっとまだ慣れなくて、とりあえず海外の方の曲を聴いています。

色々と調べて好きになったのは「Don moen(ドン・モーエン)」さんと「Joshua Aaron(ジョシュア・アーロン)さん」です。

とても良い曲なので、良ければ聞いてみてください(*´ω`*)

youtu.be

youtu.be

あと、個人的に好きな賛美歌は以下の通りです ↓↓↓ (*´ω`*)

youtu.be

youtu.be

とても綺麗な声で素敵ですね~♪♪♪

私は賛美歌に関しては、まだまだ何も知らないので、もし皆さんのオススメな曲があったら是非とも教えてください!!(*´ω`*)

聖書通読の過程④神様を信じない夫と、神を信じる妻

そういえば、教会に通う際は、実は主人も一緒に付いて来てくれます(*´ω`*)

といっても、主人は出会った当初から「超!」がつくほどの「無神論者」で、神様を信じている訳ではありません。

単純に、私が信じているものが何なのか」に興味を持ってくれているようです。

主人は小さい頃にキリスト教系の幼稚園に通っていたので、そのこともあって「教会」というものに、あまり抵抗がないのかもしれませんね。

一方の私はどちらかというと「なんかよく分からないけど、目に見えない存在で大いなる何かはいる」と感じていたタイプで、神道とか仏教とかスピリチュアルとかに興味を持っていました。

そして、それらを経て、真理の探究の末に「イエス・キリスト」を救い主として受け入れた訳ですが、イエス・キリストに関わらず、今までずっとこの手の話は主人も含めて、周りの友人・知人などに対してしてきたので、向こうが嫌な顔をしない限りは、数ある話題の一つとして話しています。

そういうわけで、家でも主人とは最近、聖書の話をよくするのですが、納得できない部分や疑問点をどうとらえるか、解釈するかなど、とても話が盛り上がります。

やはりそれぞれ、何かしら「信じていること」があるので、神を信じているにせよいないにせよ、話はだんだん「どう生きていくか」といった、深い話になりますね。

 

価値観が合わないと衝突しそうになる部分はありますが、「どうにか、このことを皆に分かりやすく伝えたい」という気持ちがある私にとっては、主人との会話は、バランス感覚を取り戻す良い訓練です(*´ω`*)

また「神なんて居るわけが無い、死んだら終わり」という主人の価値観にも、刺激になっているかもしれません。

「聖地旅行(イスラエル)にも行きたいね~!」なんて話も出ていますよ。

聖書通読を終えて、これから…

ぜんぜん関係ないけど、先日草津温泉旅行してきました…(笑)

この度、はじめて「聖書」を読んで、自身が長年抱えていた心の葛藤への疑問や、この世界に対するあらゆる疑問が解消されていきました。

そのため、これから起こることを考えれば「誰もが聖書を読んで欲しい」と思わずにはいられないのですが、ただでさえ、日本は「宗教」に関して色んな事件が起こっているので、「聖書=キリスト教=宗教=怖い!」という思考回路になって、難しいかもしれません…(;^ω^)

ですが、たまにネット上で「宗教は嫌いで教会には通ってませんが、イエス様を信じています」って方を見かけるので、日本の場合は、そんな感じで地味にゆるく水面下で広がっていけば良いなと思っています。そういう人は、実は多いかもしれません。

今はネットで沢山の情報を得られるし、ネット上で個人的に繋がることができますしね。(まぁ、本当に変なサイトや動画はいっぱいあるので注意が必要ですが…。私も調べ物をするとき、かなり引っかかりそうになりました。)

 

それにしても、イエス様を救い主として受け入れている兄弟姉妹は、日本だけでなく世界中に沢山いるので、本当に心強い限りです…♪(#^^#)

私はもちろん、探求の果てにイエス様に出会ったので、皆さんにこの喜びを伝えたいという気持ちでいっぱいですが、「勧誘怖い!」と思われたら残念なので、自身が悩んできたこと、辛かったことのアプローチから、ゆるく浅く、でも、大事なところは絶対に外さないように、学んだことをシェア出来れば良いなと思っています。

漫画はもう二度と描かないだろうと思いましたが、たぶん描きます。

ブログも新しいの作りますね、きっと…(笑)

必要な方に、どうか御言葉が届けていくことが出来たら嬉しいです…(*´ω`*)

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。(ヨハネ10:27)」

 

以上、聖書通読の振り返りでした…☆

読んでくださりありがとうございます!

みなさんの心が、どうか平安でありますように…♪(*´ω`*)

聖書の勉強を始めました~!(#^^#)

コメダ

コメダでちいかわ!ウサギが好きで、ハマってます♪♪

こんにちは、あのたまです…♪(*´ω`*)

冬の厳しい寒さがだいぶ和らいできた今日この頃ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

私はこれまでと打って変わって時間にゆとりが出来たので、家のことを整えたり、お友達と遊んだり、温泉旅行に行ったりなどして、心身共に休息を取っていました。

聖書の勉強

相変わらず、お茶飲んでお菓子を食べてますよ!(笑)

まぁ、これらのことはいつもやっていることですが、実はそんな中で、今年からこれまでの人生で一度も予想しなかったことを始めています…(笑)

それはなんと、なんと…!「聖書」の勉強です~!(#^^#)

エス様に導かれて…?聖書の勉強を始めました!

聖書の勉強

今は新約は読み終えて、旧約に入ってます!カオス…!\(^o^)/オワタ

「聖書」というと、キリスト教で使われている教典の、あの「聖書」です。

読者の方の中には「なんで、そっちの方向へ!?」と、思われる方がいらっしゃるかもしれません…(;^ω^)

そうなんです!実は当の本人も、今でこそ「記事に書こう」という決意が出来たものの、つい最近までは、地味に心が揺れ動いておりました…(笑)

ですが、聖書を読めば読むほど、「この道で間違いない」という確信が、日に日に強くなっていますので(宗教とかではなく、「本の中身」が…です。)、今日はそのことについて書いていこうと思います~☆

きっかけは、作家の曽野綾子さんの「新約聖書講座」(Youtube)から…

これまで、私は自身の生き辛さをどうにかしようと、「答え」のようなものを求めて、自己啓発やスピリチュアル(ニューエイジ)→奇跡講座→悟り・非二元→瞑想の勉強をしてきました。そして、瞑想である程度の「体験」があった段階で、私の「真理の探究」はもう終わったものだと思っていました。

というのも、非二元・瞑想の勉強と実践を経て「思考=自我」と理解したことで、「人はなぜ生きるのか?」とか「死んだらどうなるのか?」と「色々と悩んで思い煩って考えても、それはただの思考(自我)」「考えるだけ時間の無駄なのだな」と感じたからです。

そのため、その当時は、もはやこの世界で特別やりたいことも興味のあることも無かったので、「普通に生きよう!」と決意して、お仕事を始めた次第です。

ですが、昨年の12月、たまたまYoutube で、作家の曽野綾子さんの「新約聖書講座」という動画を見つけたんです。(この動画は、何年も前に、NHKでやっていた番組を誰かがアップロードしてくれたものだと思います。)

何度かこのブログで書いているので皆さんご存知かと思いますが、私は作家の曽野綾子さんのが好きで、ペンネームの「あのたまこ」もそこからきてるんですね(笑)

なので、その時もたまたま、動画の内容より「曽野綾子さん」が何を語っているの知りたくて見ていた次第です。

↓↓↓因みに、その時、見ていた動画がコレ(#^^#)

youtu.be

イエス・キリストを信じて、世界が変わってしまった

曽野綾子さん自身はカトリック教徒ですが、クリスチャンではない一般の視聴者を意識してか分かりませんが、動画内でイエス・キリストが生涯の中で行われた様々な「奇跡」(食べ物を増やしたり、病を治したり…。)については、かなり現実的な意見で説明していました。

私自身も、動画を見ている段階では、そこについてはあまり気をとめてなかったのですが、それよりも「イエス・キリストが何故、十字架で死んだのか」ということを学び理解した時、滝のような涙がとめどなく溢れ、これまで感じたことの無い強烈な愛に包まれたような心地を味わいました。あれほど感動したのは、生まれて初めてかもしれません。

イエス・キリストについては、これまで、小さい頃から歴史の授業で学んだり、本やら映画やら、ある時期では奇跡講座などから「なんとなく」その存在と教えを耳にしてはいました。

ですが、動画を見た後は、もはや「なんとなく」では無く、より詳しく「イエス・キリストのことが知りたい」と思ったのです。

「福音」を信じて「救われる」

それ故、イエス・キリストをもっと知るにはどうすればいいかと考えたら、とりあえずYoutubeで牧師先生がやってる「聖書講座」を見てみよう!となった訳です。

そのうちに、同時並行でスマホアプリで無料で聖書が読めることが分かり、ダウンロードして「新約聖書」から読み始めました。

そうしたら…、もう目から鱗…!Σ(´∀`;)

イエス・キリストがこんなことを言っていたなんて!!」

「聖書って、思ってたのと違う!!(笑)」

「聖書」という本は、昔ビジネスホテルとかで読んだことあったんですが(机の引き出しに入ってる時ありません?)、その時は「旧約聖書」からチラッと読んで、なんかよく分からなくてそれで終わってました。

ですが「新約聖書」読めば読むほど「これこそ私がずっと求めていたものだ!」と思わずにはいられませんでした。

そして、いわゆる「福音」というものを知ります。

皆さんも、キリスト教で「これを信じれば救われますよ~」というものを聞いたことがあると思いますが、その3要素です。(①キリストは、私たちの罪のために死なれたこと、②キリストは葬られたこと、③キリストは三日目によみがえられたこと)

過去の私なら③「キリストは三日目によみがえられたこと」という部分にかなり抵抗すると思いますが、その時の私は先に「イエス・キリスト」の行動と言葉を完全に受け入れて信頼していたので、その3要素に関しては、あまり大きな抵抗も無く、信じちゃったんです。

そして、私は「救われた」のです。

渇いた心が潤っていくような感じで、全身で「愛」感じた体験でした!

 

そして、信じた後はどうしたら良いのか分からず、聖書の勉強は続けていたものの、とりあえず、動画で勉強させてもらっている牧師さんがオススメ通り、地域の教会に、通うことになったのでした(^^)

クリスチャンになる条件や定義とは…?

ところで、イエス・キリストを信じた後、色んなクリスチャンの方々の動画などを見て「自分は今どういう状態なんだろう…?求道者…?イエス様を信じた人…?キリスト教徒…?クリスチャン…?」と地味に悩んでいたんです。

そんな中、ネットでご縁があったクリスチャンの方(神学校を卒業して「聖書」をベースに活動されている方)に、下記の聖句を引用して説明していただき「あなたはもうクリスチャンですよ(#^^#)」と教えてもらいました。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は、心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

(ローマ人への手紙10章9節)

福音を信じて主イエスに信頼を置いた時点で、「クリスチャン」なんですね。

「あなたはもう私の兄弟ですよ!」と言っていただいた時は、びっくり恥ずかしかったけれど、嬉しかったです(*´ω`*)

 

ただ「聖書」ではそう書かれていますが、「キリスト教」になると教派が色々あるので、教会によってはその定義や条件は違うかもしれません。

「洗礼」を受けないといけないだとか、「教会籍」が無いといけないだとか…。

因みに、私が通っている教会では、そのことについてまだお話ししてないので、どういう扱いになってるか分かりません…(;^ω^)

まぁ、いまの段階では「聖書を読むこと」の方が大切だと思うので、どっちでも良いかな~…という感じです。

「宗教」ではなく「聖書」に信頼を置いているので、まずは聖書の内容をしっかり理解していきたいと思います(*´ω`*)

「私が道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)

さて、ここまで書いてきましたが、いかがだったでしょうか…?

私自身は、小さい頃から、少なからずイエス・キリストに興味はあったものの、まさかこの年になってから教会に通ったり、本気で聖書を学ぶ日がくるとは、思いもしませんでした…Σ(´∀`;)

ただ、私はある意味で、行き着くところに行き着いたのかもしれません。「真理の探究」に対して、イエス・キリストご本人が、そのことについておっしゃっている言葉があるんです。

エスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)

アーメン。本当にその通りです。

小さい頃から抱いてきた、この世界での生き辛さや、悩み、苦しさ、孤独感。

私(人間)とはなんなのか。どこからきて、どこへいくのか。

その全ての答えが、「聖書」の中にありました。

イエス・キリストの恵みと愛に、心からの感謝の気持ちが止まりませんね…(*´ω`*)

 

という訳で、通読するまでは、今後しばらく「聖書の勉強」が生活の中心になりそうなので、また、聖書のことについて、というか、「心」のことについて、これからも書いていけたら良いな~と思います…♪

以上、近況報告でした(*´ω`*) また次の記事で~!

おまけ☆「Amazing grace(驚くばかりの神の恵み)」 

この曲は、誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

私自身も、大好きなシンガーソングライターのKOKIAさんを通して、今まで何度も聞いていた曲です。

ですが、イエス様を信じた今、もはや全く違った曲に聴こえます…!

歌詞の意味がよく分からなかったのですが、今ではわかりみが凄いです…(*´ω`*) 

ハーモニーとアレンジが良いので、良かったら聞いてみてください♪ ↓↓↓

youtu.be

驚くばかりの神の恵み

何と美しい響きであろうか

私のような者までも救ってくださる

道を踏み外しさまよっていた私を

神は救い上げてくださり

今まで見えなかった神の恵みを

今は見出すことができる

 

 神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し

その恐れから 心を解き放ち給う

信じる事を始めたその時の

神の恵みのなんと尊いことか

 

これまで数多くの危機や苦しみ 誘惑があったが

私を救い導きたもうたのは  他でもない神の恵みであった

2023年!あけましておめでとうございます!(*´ω`*)

カフェ

温かい珈琲から、一年のはじまりを…

こんにちは、あのたまです~♪(*´ω`*)

だいぶ!だいぶご!無沙汰しておりましたが、皆さまお元気ですか?

あっという間に2023年!!早すぎ!あけましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願いします~♪♪

また、ご挨拶が遅くなり申し訳ありません!(;^ω^)

実は、本当は2022年の年末に、お仕事の休憩時間に記事を一本書いていたのですが、写真添付が出来ず、31日そのまま時間切れでUPすることが出来ず、ここまで来てしまいました~。

以下がその記事です↓↓↓


2022年、お疲れ様でした~♪(*´▽`*)

 

皆さん、こんにちは!あのたまです(*´ω`*)

だいぶご無沙汰しておりましたが、いかがお過ごしでしたでしょうか?

 

私はというと、11月末から2つのお仕事を並行してやっていたので、忙し過ぎて、もはや何も考えることが出来ない状態でありました…(笑)

そして、今は年末年始ということで、宿泊施設の方でバタバタしております。

年始が終われば、とりあえずお休みに辿りつくので、それまでは気を抜かないように頑張ろうと思います~♪(*´ω`*)

 

さて、話は変わって、皆さんは今年はどのような一年だったでしょうか。

私はというと、瞑想をしたことで色々と終わって、「仕事をしよう」と思ってその通りになったので、ある意味で満足しています(笑)

ですが、それに伴って色んな事がありまして、心身ともに疲弊したのも事実です。

「来年はどうしたら良いのかなぁ…」なんて思っていた時期もあり、後半は体調もかなり悪かったんですが、最後の最後で(本当に12月入ってからかと…)、全く予期していたのとは全く別の方向へ導かれました…(笑)

今年は本当に全てが「まさかこんなことになるとは!」ということの連続だったので、「最後までコレかい!」って感じでしたけど…。

 

小さい頃から生き辛さを抱えて生きてきました。

自身が抱くネガティブな感情をどうにかしようと、本当に必死でした。

自己啓発やスピリチュアル、セラピーや悟り・非二元・瞑想をを通して、納得のいく答えを探求してきたと思います。

そして、色々やってきた結果、自分の中では、そういう探求は終わったような気がしていたんですね。

ですが、まだ続きがあって、それこそが、私の心にポッカリ空いた空間を埋めてくれるものでした。

 

そういう訳で、来年やりたいことはもう決まり、自分の心も満たされて、今からとても楽しみな気持ちでいっぱいだったりします。

今回は時間が無いのでこれ以上この件について触れませんが、また落ち着いたら年明けに書いていきたいと思います(*´ω`*)

 

2022年、今年も本当にお世話になりました!

ぜんぜん更新できませんでしたが、たまに見に来てくださった方々、ありがとうございます。

皆さん、よいお年をお迎えください!


 

文章は完成されていたので、そのまま投稿すれば良かったんですが、私の中では、記事をUPする時はどうしても写真も添えたいという欲求があり、それがUP妨げの要因になった次第です(笑)

と、こんな具合にバタバタした年末年始を過ごして、その合間に転職活動をしたり、真理の探究の終わりのはじまりで、今、ようやく今後の見通しもたって落ち着いた次第です~(*´ω`*)

3月までは一呼吸できる時間のゆとりが出来たので、これから両家の実家に挨拶してお食事会したり主人と旅行に行ったり、ウェアとか板とかも揃ったので、スキーもしまくろうかと思っています。(もう2回行きましたけど…w)

2022年は本当に色んな事があった一年で、辛いこともたくさんありましたが、生き方の指針が手に入り、方向転換の年だったんだなぁという気がしています。

2023年は、そんな訳で、自分が本当だと思えることを軸に、焦らずに精神と肉体の土台作りをしていきたいと思います~♪

皆さんも、素敵な一年をお過ごしくださいね!

 

ところで、次回の記事では、真理の探究の果てに辿りついた結果を、書いていきたいと思います。

私自身もそうだったのですが、ほんとうに「まさかそっちにいくとは!」というお話しなので、読者の皆さんがびっくりされないかちょっと心配ですが…(;^ω^)

ただ、私はこれまで、心のことを色々と書いてきましたが、全ての苦しみの原因はコレだったんだなぁという感じがしています。

このことを言ったらみんな離れていくかなぁという不安もあるのですが、逆に、自身と同じように導かれた人達や、同じような考えを持っている人達と出会うために、自分の中に起こった本当のことを書いていきたいと思います。

 

それでは、次の記事で~♪(*´ω`*)

 

おまけ☆ UPして記事にしたかったけど出来なかった、お写真コーナー!


ドッグカフェ

美味し過ぎるデザートと可愛いワンちゃんのカフェへ…♪

ドッグカフェ ふう

窓から見える浅間山…♪

12月の中旬ごろ、お友達とカフェに行きました~♪(*´ω`*)

お店には可愛いワンちゃんが居て、お出迎えしてくれました。

ドッグカフェだからと、お店の存在は知っていたもののなかなか入れなかったカフェでしたが、デザートも凄く美味しくて、お店の方も凄く素敵な雰囲気で、また行きたいなぁと思いました♪

tabelog.com


お友達のおうちのねこちゃん

「ちゅ~る」の威力を知ったあのたまです♪(*´ω`*)

12月に下旬に、猫を飼っているお友達のおうちに遊びに行きました~♪

実はワタクシ小さい頃から猫アレルギーで、やっぱり何時間かお邪魔したらやっぱり喉が苦しくなったものの、もふもふにゃごにゃごさせてもらって心はとっても癒されました次第です♪

一匹(手前の子)はとても懐っこく、もう一匹(奥の子)はとても大人しく隠れていました。でもお友達が「ちゅ~る」出したら出てきて面白かったです(笑)


2022年のご褒美

①前菜 大好きなパテ

2022年のご褒美

②スープ ポタージュで超美味しかった!

2022年のご褒美

③メインのお肉料理 スパイシィ!

2022年のご褒美

④デザート 甘くて美味しい!

7月頃から、ほぼノンストップでお仕事をして、ほとんど「ホッ」とする暇がなく、12月には疲れ切っていました。

そのため、自分に何か美味しいご飯でもご褒美をあげようと、馴染みのお店に行ったのですが満席だったため、近くのオーストリア料理のお店へ!

今回ばっかりは好きなものを食べたいと、予算を気にせず一人でランチコース料理をいただきました(笑)

洋服もめちゃくちゃ普段着だったので、お店の方に「私は場違いの場所に来てしまったのでしょうか?」と思わず言ってしまい「そんなことはありません」と、年配のお給仕の方にジェントルに対応いただきました(笑)

オーストリア料理は初めてでしたが、メインのお肉料理はスパイシィでとても美味しかったです~♪

ご飯を食べて、枯渇していた心身が一気に回復しました!(*´ω`*)

また行きたいお店です♪

hamys.jp


打ち上げ

お仕事お疲れ様の、打ち上げ餃子パーティー

打ち上げ

フォアグラと牛肉!

職場で怒涛の年末年始が終わった後、皆で打ち上げをしました…♪

餃子をみんなで包んで、料理長に残り物の冷凍フォアグラを調理してもらい、ちょっとだけお酒も飲んで楽しみました。

ところで、派遣で応援に来てくれた20代の女の子は本当にしっかりしていて、距離感もちょうど良く仕事が大変やりやすい子で、感謝の気持ちでいっぱいでした。

一緒に働けて本当に良かった!そして、それを伝えることが出来て良かったです♪


カフェ

昔ながらのぷりん♪

先日、行ってきた古民家風カフェの昔ながらのプリン。

冒頭の珈琲の写真とも同じところですが、とてもまったりゆったりしたカフェでした。

プリンはお上品なお味で、お店の雰囲気も癒されました。

やっぱりカフェは良いですね♪大好き!

tabelog.com

相手(兄弟)を通して、癒される(赦される)日々

こんにちは、あのたまです(*´ω`*)

前回の記事から大分ご無沙汰しております、皆さんお元気ですか?

私は相変わらずで、お仕事と瞑想を軸としたシンプルな日々を過ごしています。

今は休憩時間中で、窓の外はしとしと雨が降っています。

雨粒が葉っぱにこすれる音がとても心地良いのですが、まだ10月だというのに、ちょっと寒すぎです…(;^ω^)(in軽井沢)

私は人一倍寒がりなので、もうそろそろ湯たんぽが無いと夜は眠れない感じになりそうな予感がしていますよ(笑)

 

さてこんな具合に肌寒さの気配を感じつつ、自然のBGMが心地良いので、今日は「人を通して得られる癒し」についてのお話しをしていこうと思います…(*´ω`*)

相手(兄弟)を通して、癒される日々

皆さんはどんな時に「癒された~!」って気分になれますか?

自分を癒してくれる対象や出来事は人それぞれ違うと思いますが、私の場合は美しい自然の景色だったり温泉だったり、美味しそうなご飯の動画や可愛い動物の動画だったりします。

疲れた時にそうやって「ほ~っ」とさせてもらえるのは、本当にありがたいことだといつも思うのですが、どうして、自然や動物は私たちを癒してくれるのだろう?と考える時がたまにあります。

そして、その答えとしては、彼らには意図した「攻撃」が無いからだと、個人的には思っています。

人間の意図した攻撃…すらも「自然」に起きている

雨が降らなくて水不足になったり、台風が来て建物壊れちゃったり…。

自然は災害という形で、ときどき、人間を傷つけたり苦しめたりすることがあります。

ですが、人々は一時的にそれに対して憤慨しても、心のどこかで「どうしようも無いよね」という諦めの気持ちを持ち、その怒りの矛先をいつまでも自然に向けたりはしませんよね。

というのも、たぶん自然が「人間を懲らしめてやるぜオラオラ~!(#^ω^)」という風に、意図してそれを起こしているとは感じないからです。

 

ですが、「人」に対してはどうでしょうか…?

私達は「自然や動物」に対しては、「まぁ、しょうがないよね」という感じに接することが出来ますが、「人」に対しては赦せない気持ちでいっぱいです。

何故なら「人間は理性を持って、自分の思考や感情をコントロールできるはずだ」と思い込んでいるからです。

「本当はこうできるはずなのに、こうできないお前は間違っている。悪い奴だ。許せない」なんてね。

 

災害が起きた時、最終的には「人(政府)」に対して怒りの矛先が向くのも、そういう理由からかもしれません。

訴訟とか賠償問題とか、もちろん保証的な意味では必要なことだと思います。

ですが、いつまでも根に持ってしまうのって、これって本当はおかしいんですよね。

 

というのも、私達は自分自身をコントロール出来てると思い込んでいるだけで、実は思考も感情も行動も、全くコントロールなんて出来ていないからです。

人間が持っている(ように見える)意図した攻撃性ですら、これも自然に起こっているだけで、起こることだけが起こっているだけで、実は自然と同じように、どうしようもないものなのです。

赦すか赦さないか、それだけだ…!

こんなことを言うと「じゃあ殺人は良いんですか?」とか「人を騙したり傷つけたりして良いんですか?」という話になっちゃうんですが、良いか悪いかの話ではなく、ただ、それが起こっちゃってるんですよね。

もちろん、被害を受けた側はたまったものではありませんけど、「相手を赦さない」ことで「一番苦しむのは誰か?」と考えてみてください。

私の師も言っているのですが、それは本当に「自分自身」なのです。

私もこういう学びを続けているので身を持って経験していますが、「赦す」ことで癒されるのは「私」自身なのです。

人に対して攻撃的なエネルギーを持つことは酷く疲れることです。

相手のことをずっと考えて、イライラし続けるわけです。

それならば、いっそのこと、嫌だな、と思ったり、クソだな、と思う相手を受け入れて(赦して)みて欲しいです。

「私ばっかり損してる」と「自我」は思うかもしれませんが、赦しを通して得られるのは、「私も同じ」だという感覚と、赦しを通して自身が癒されたことで生じる相手に対しての「感謝」の気持ちです。

私は最近、実は周りの人間関係でかなりゴタついた日々を過ごしていたのですが「瞑想+赦し」で、メンタルを病まず深刻にならず済んでいます。

相手(兄弟)を通して、自分自身が日々、癒され(赦され)、気付きがいっぱいです(*´ω`*)

攻撃的な気持ちを持っていたのは、果たしてどちらだったのか…。

世の中の戦争について論じることも大切ですが、「目の前の戦争」から目を背けず、終わらせる必要があります。

「鏡を見てください、あなた、鼻毛が出てますよ!」

とは言いつつも、癒しのワークをしようと思ったり、やっぱり出来なかったり…。

そもそも、こんなことに興味が湧かなかったり、というのも、自然に起こっていることです(#^^#)

なので、こういうことに興味が無ければ、それはその人に全く必要がないことなので、する必要はありません。

せざるを得ない状況になったら、勝手にしちゃうと思うので、迷ったり悩んだりしている時間がもったいないですよね。

そして、癒しのツールは一つだけではありません。

そこへ至る道は色々とあり、瞑想もその一つだと感じています。

ですが、ひとつ言えるのは、相手を非難したり攻撃したり、あるいは、相手から避難されたり攻撃されたりすることがある(正確には攻撃されたと思っているうち)は、「鏡をみてください、汚れてますよ!」ということなんです。

あなたが鏡の前に座って「あらやだ、鼻毛が出てるわ!Σ(゚Д゚)」と言って鏡をゴシゴシこすっても何も変わらないように、嫌なら自分自身の鼻毛を取るほかありません(笑)

いつまで誤魔化し続けるのか…?

この世界でどのように生きていくかは、人それぞれです…(*´ω`*)

私の場合は心が穏やかになった今でさえ「人生楽しい!幸せ!」と思っておらず、最近は、買い物やら温泉巡りやら登山やらスキーやら絵画やら音楽やら、今まで楽しいなと思ったことすら、どんどん興味を失ってきています…(笑)

もちろん、一時的に楽しいことはありますが、でも「ただの退屈しのぎの行動なのだな~」と感じます。

まぁ、ぜんぜん、それで良いんですけどね(笑)

悟りや非二元、瞑想方面のコミュニティにいらっしゃった方は、めちゃくちゃ精神的に苦しくて辛いか、世の中の楽しみを味わいつくしたけど何か虚しいとか、もう自分の気持ちを誤魔化せなくなった人が多かったように感じました。

 

私もそんな感じなので、これからも、心について思うことを発信していきたいと思います(*´ω`*)

腑に落ちた!全てはただ、完全に勝手に起こっている

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

だいぶ、だいぶご無沙汰しておりましたが、皆さまお元気ですか?

というか、まだこのブログを見てくださっている方はいるのでしょうか…?(;´∀`)

ぜんぜん更新が出来ておらず、もしも、楽しみにしてくださっている方がいたら申し訳ありません。

実は夏から二つのバイトをかけもちして(いつもの短期バイトと今年から始めたバイトが被った)、そのまま休みが無いままフルで働くようになって肉体的にヘロヘロになってしまい、ブログを書く余裕がありませんでした。

 

しかし、その期間に入っていた瞑想(非二元・悟り)コミュニティが入会期間が満期で終わったり、自分とは全く違うパワフルな方との出会いの中で、さまざまな気付きがありました。

なので、今ようやく夏のピークが終わって、連休が取れてすこし落ち着いたので、ブログを書けていなかった時の色々を、今日は少し話したいと思います。

一年間の瞑想(非二元・悟り)コミュニティを経て…

www.anotama.com

昨年の今頃、瞑想のコミュニティに入ったことをお伝えしましたが、それが終わったんですね(*´ω`*)

結果から言うと、色々クセがあってやり辛い部分はあったものの、入会して本当に良かったです!

コンテンツの内容自体はブレることのなく真実を語っており、道を外れそうになると、それを繰り返し何度も訂正していただきました。

あやふやだった「非二元・悟り」の概念も、体感を得て腑に落ちて、今まで「自分」が考えて感じて、人生をコントロールしていると思っていた部分が、タイトルの通り「全てはただ、完全に勝手に起こっている」だけなんだな~と気付くことができました。

瞑想の習慣も身に付いて、今後も定期的に師匠にセッションだけはしていただきながら、学びを深めていきたいと決意しました。

そして同時に、以前やっていた「奇跡講座」の本をまた引っ張り出して読んでいます。

言っていること、書いてあること。

表現は違いますが、やっぱり根本では同じなんですよね~(*´ω`*)

奇跡講座のエネルギーは、やっぱり温かくて優しくて、ネガティブな思考や感情に巻き込まれた時、本当に助かっています♪

思考(と感情)を一切、相手にしない

それと、もう一つ。つい最近コミュニティで知り合った方とスカイプなどで情報交換して「思考(と感情)を一切相手にしない」をやっていこうと決意しました。

これって、今までも、もちろんやっていたのですが、「瞑想する、習慣化する」という方に気を取られがちだったので、更に「徹底して」日々の生活の中でこれを落とし込んでいくという感じです。

この「思考と感情を一切相手にしない」という行為は、あまり考え込まないタイプ、悩まないタイプの方は、きっと勝手に出来ているだろうと思います。(読者さんの中にも、きっと無自覚の覚者さんがいることと思います…w)

ですが、私の様な思考グセが強く悩まずにはいられないタイプの人にとっては、訓練しない限り、ずっと脳内で言葉のループが繰り返されます。

なので、日々の生活の中で、実践あるのみ!ですね…♪

一緒に学び、歩んでいく仲間との出会い

ところで、コミュニティで私は同じように道を目指す仲間との出会いを求めていたのですが、入会中は全くそういう方を全く見つけることが出来ませんでした。

というのも、多くの方は「先生の信者」のような感じで、先生の言うことの全てを「正しい」と受け取る方が多かったからです。

また「ポエマー」のような方が多く、非二元・悟りを学んでいる自分に酔っているような感じの方が正直、苦手でした(;^ω^)

私は学びが進むほどに、気持ちはより現実的になり、非二元・悟りは、特別なものでも何でもないと感じ始めたので、なんか距離を感じちゃったんですね。

で、それを正直にコミュニティの日記に書いていたものですから、当然まわりとの温度差がある訳です(笑)

(もう仲間を見つけるなんて無理だな。このまま退会だなぁ…、)と思っていたのですが、私の日記を読んで「ウソ偽りが無くて好き!」とおっしゃってくれる方が連絡をくれて、その方とお話をして、今後も情報のシェアをしていくことになり、上記の通り「思考(と感情)を一切相手にしない」を徹底してやってみよう!ということになった次第です。

非二元の学びは一人でももちろん出来ますが、二人で一緒に同じ方向を目指していく仲間が出来ると、やる気もUPして気持ちも楽しくなるので、本当に嬉しいです。

エネルギー強すぎ!!な、人たちとの出会いの中で…

さて、話は変わって、ブログが書けなかった期間、なんというか、とてもエネルギッシュな方たちとの出会いが連続して起こり、お話を伺う機会に恵まれました。

主にバブル時代を経験しているような方々でしたが、まぁ、皆さんとにかく普通じゃなくて人生経験が富んで、激しい!(笑)

その時代は社会の雰囲気もアゲアゲで経済的に豊かだからそれを出来たんだろうなぁ~という感じもありますが、とにかく昔も今も楽しそうです。

私はかなり平凡で何の意欲も無くダラダラと生きていたタイプなので、そのお話は小説を読んでいるようで、本当に面白かったです(#^^#)

そして、この出会い中で、私の中にまだかすかにあった「こうなりたい、ああなりたい」という欲求に変化が生じました。

意欲が湧かなくても、何の問題も無い

エネルギッシュな方々のお話を詳しく聞いていたら、気付いたことがありました。

本人も言っていましたが、私からは憧れの対象であるアグレッシブな人は、必ずしもそうしたいからしている訳では無くて、その有り余るエネルギーを発散せざるを得なくて「行動している」ということが…。

そして、話の中では「楽しかったこと、良かったこと」が中心になっていますが、その反面、とても大きな苦労もあったということが垣間みれます。

言葉では「好き勝手やってきて、幸せ!」と言っていて、実際その通りだろうなぁと思いますが、敏感な私にはその根底にある「憂い」の感情も伝わってきました。

なので、やはり「どっちが良い」ということは無くて、その人にとって、ただ、「その現象」が起こっているだけなんだなぁと感じました。

 

相手は、私のこの「ゆるさ、何もしてない感じ」が良いと言ってくれます。

私は基本やる気がなく、適当にゆるゆる生きていますが、これが良いと思ってません。

ただ、そうせざるを得なくてやってるだけですが、もうこれしか出来ません(笑)

自分とは違った素敵な人を見る度に「ああなりたいな」「こうなりたいな」と思いますが、非二元の学びもあって「もうこれで良いんだ、これでしかないのだ」という気持ちがどんどん深まっていきました。

そして、この思考も感情も相手にせず、ただ目の前に起こることを眺めて生きていこうと思いました。

軽井沢で、ごはん♪ゴハン♪ご飯~♪

さて、話はガラリと変わって、ご飯について!

職場が近いので、お仕事の合間に軽井沢にあるカフェや定食屋さんに行ってましたので、ここに紹介したいと思います~(#^^#)

私が行くのは大抵メジャーな場所じゃないので、参考程度に。

写真は無いのですが、いつもの如く、大好きな「ぱいつぼおる」さんにはつい最近、行ってきましたよ~♪

www.anotama.com

洋食屋さん「うさぎの森」

うさぎの森

ぱいなっぷる!

うさぎの森

ちきんタルタル!

何年も前から、ずっと行ってみたかった洋食屋さん。

他のお客さんを見ると、観光客というより、地元の会社員の方や、別荘地の常連さんが来てるのかな?

お値段も軽井沢値段じゃなくてリーズナブルです。

野菜がモリモリでめっちゃ美味しかったですよ~♪(#^^#)

tabelog.com

フランス郷土料理レストラン「シュエット

シュエット

仔羊の…、なんとか(#^^#)

こちらもずっと興味があったお店。

駐車場が無くて(有料の駐車場は、お店のすぐ近くにあります)、ずっと行くのをためらっていたのですが、職場の方と行くことが出来ました。

お昼のコース料理をいただいたのですが、美味しかったです(#^^#)

お値段もリーズナブル、お店が古い感じですがそれもまた良い!

次回はビーフシチュー食べたい!

www.karuizawa-chouette.com

ティーサロン 「軽井沢の芽衣

めい

軽井沢で紅茶を飲むならここだ~!

小説「浅見光彦シリーズ」の作家さんである内田康夫さんと、奥様の早坂真紀さんのティーサロンです(#^^#)

ここも大好きな場所で、今回はテラス席で凄く気持ちが良かったです~♪

いかにも「軽井沢!」という感じな雰囲気で、スコーンもケーキも紅茶も最高です!

軽井沢では個人的もっと好きなお店は在るのですがあまりにマイナーなので、「軽井沢でどこのカフェがオススメ?」と聞かれたら、女性には迷わずここを一番、推しています♪♪

asami-mitsuhiko.or.jp

天布良 「万喜」

軽井沢 天ぷら

軽井沢でまさかの天ぷら!

こちらも以前から気になっていた天ぷら屋さん!

一緒に食事をした友人は「軽井沢でまさか天ぷらを食べるとは思わなかった(笑)」と言われました…w

ランチのサービス天丼はお手頃で、衣もサックサクでとても美味しかったです。

旧軽銀座の大通り脇道に入ったところにあります。

tabelog.com

茶店「珈琲歌劇」

珈琲歌劇

BGMが好み過ぎる喫茶店…♪

旧軽のところにあるアンティークな喫茶店

BGMがヘンデルとかバッハとか静かな曲がいっぱいで、個人的に超好みで「CDなんですか?」と聞いたら「有線なんです」とのことで残念でした…( ;∀;)

駐車場が無いのでなかなか行けないのですが、珈琲も紅茶もポットサービスでおかわりがあるので、ゆっくりお喋りできて好きです。

ご年配のお金持ちそうな雰囲気のお客さんが多い印象です(#^^#)

tabelog.com

軽井沢「離山房」

離山房

クリームソーダゼリー!

ジョン・レノン氏とオノ・ヨーコさん夫妻が来た!」というお店の紹介が前面にあって、雰囲気が良さそうでずっと行ってみたかったお店です!

お茶は美味しかったのですが、思いっきり軽井沢値段です…(笑)

お店は森の中なものの車通りが多くて、軽井沢の他のお店を色々行った後での正直なところの感想は「そんなに良いかな~?」という感じでした。

一緒に行った方も「ジョン・レノンに頼り過ぎ…?(;^ω^)」とのこと…。

でも、こういうのは好みの問題なので、ピンときたら行ってみてくださいね♪

www.rizanbou.jp

最期に:いつもの公園で…

山王山公園

珈琲を飲みながら、ただぼーっとする

ここまでつらつらと近況報告を書いてきましたが、いかがだったでしょうか。

最近では漫画も全く描かなくなり、ただお仕事をしてご飯を食べて寝て、そして写真の通り、大好きな公園で珈琲を飲んでぼーっとしている日々です。

この時間が本当に幸せを感じられて、すごく好きです…(#^^#)

正直なところ、定期的にこの「大好きな公園で珈琲を飲んでぼーっとする」ことさえできれば、あとはどんな生活をしてもいいかもしれない、と思っています。

小さい頃、よく一人で近所の裏山に一人で遊びに行って(今考えると危ない…(笑))、高台から景色を眺めていました。

多分、それが原点で、なによりも好きなことなのかもしれません。

 

それでは、また次はいつになるか分かりませんが、お会いできる日まで…♪(#^^#)

「愛」についての、とある体験

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです(*´ω`*)

大分ご無沙汰しておりますが、皆さま、お元気でしょうか?

私はというと、前回の記事にもちょこっと書きましたが、今まで地味に悩んでいた体の持病で入院&手術をして、その後は無事に回復!

今はお仕事を掛け持ちして休みが全くない状態が続いております…(笑)

忙しいのですが、どちらも好きな仕事内容なのであまり辛くはなく、むしろ「こんな自分にお仕事を与えてくれて本当に嬉しいし、ありがたい!!」という感謝の気持ちでいっぱいです♪

ただ、寝不足になると朝に吐き気がきて、心身ともに疲れるので、とにかく毎日、良く食べて早く寝るようにしています ( ˘ω˘ )zzz.

瞑想は疲れすぎている時は寝ちゃってますが、ゆるゆるやっていますよ。

 

さて、そんな感じでバタバタと過ごしていますが、先日、朝の車で通勤中に、突然タイトルについてのちょっとした体験がありました。

といっても、大したことでは無いのですが、自身にとってずっとテーマだった「愛」というものが何なのか、というのが何となく腑に落ちたんですね。

愛が無い「私」

私は小さい頃から、自分には「愛が無い」「なんて冷たい人間なんだ」という風に思うことが良くありました。

まぁ、とにかく性格も悪く我儘な人間だったので、自分の思考の中に流れる自分の非情さや冷酷さを目の当たりにして心底ウンザリしていたんですね。

そのため、身近にいる「優しくて愛が溢れてるような人」を本当に尊敬していましたし、自身もそうなれれば良いな、なりたいな、と思っていました。

心の勉強をしたり瞑想をしていく中で、もはや「愛が無い自分」について悩むことはしなくなったのですが、それでも、「愛」は自分の中で大きなテーマの一つでありました。

「愛」と「恐れ」

それで、具体的にどんな体験をしたのかというと、車の運転中に「とあること」について考えるともなく考えてたんですね。

いつもの如く「考えているな~」と眺めていたんですが、突然「!!!!」となって、「そうか!だから、愛の反対は「恐れ」なんだ!!」というアハ体験のようなものが起こりました。

今まで自分が学んできて、分かったようで分からなかったことが繋がった感じでした。

そして、全身に鳥肌が立ち涙が溢れて、同時に笑いがこみ上げてきて、泣き笑いが止まらなくなりました…(笑)

「なんだ、ちゃんと「愛」はあるじゃん!よかった!本当によかった!」

誰にでも、全てに「愛」は「在る」ということ。

もう今はそんなことないのですが、その時は「今、幸せだ!」と心の底から感じました…(*´ω`*)

まぁ、とにかく不思議な体験でした。

何の前触れも無かったので、電車とかじゃなくて車の中で本当に良かったです…w

「愛」とは何か…?

で、結局「愛」ってなんなの、って感じだと思いますが、すみません。

ぶっちゃけ、なんかもう、よく覚えてない感じなんですよね…(笑)

「オイ!」って突っ込まれそうですが、とにかく、ただ言えることは「愛が無い人はいない」ということ、「誰もが愛を求めている」ということだけです。

で、愛は本当はもう何をしなくても「在る」んですが、「愛が在ることを思い出す」ために、私たちは日々、交流して、繋がりを求めいるんだなと感じました。

「赦し(受け入れること)」についての確信を持つ

そして、この体験を経て、これまで奇跡講座で学んだこと、今も変わらずっと続けていることが「やはりこれしかない」という気持ちを強くなりました。

というか、これ以外することは何もない、ということです(笑)

目の前で起こること、目のまえに現れる人…。

あらゆる体験を通して、私たちは結局、一つのことしかしていません。

だから、何をやろうがどこにいようが、本当に何でも良いのかもしれません。

今、目の前に現れていることを、そのまま受け止めればいい。

これからも日々、学びをゆるゆると続けていきます~♪(*´ω`*)

映画「PLAN 75」を鑑賞しての感想~♪

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです(*´ω`*)

先日「PLAN 75」という、社会派(?)の映画を見に行ってきました。

plan75

倍賞千恵子さん主演!声も演技も凄かった!

happinet-phantom.com

この映画はたまたま珍しくTVを付けている時に目にして、テーマが私が普段から気にかけているような内容だったので、興味を抱きました。

本当はお友達と一緒に「善光寺御開帳」のついでに鑑賞するはずだったのですが、体の具合の都合で急遽予定が変更になり、公開日と同時に急いで見に行ってきた次第です。

ネタバレが若干あるので、興味のある方は、あらすじまで見たらどうか引き返してくださいね~(笑)

映画「PLAN 75」のあらすじ

この映画がどんな内容かはオフィシャルサイトに行ってもらえれば詳しいことが分かるのですが、ザックリ言うと「75歳になったら生死の選択を自由に出来る制度が出来ている、少子高齢化社会の日本が舞台のお話」です。

倍賞千恵子さんが演じる主人公は78歳、ある日、身寄りが無くて勤めていたお仕事も解雇されたことをキッカケに、この制度の申請を検討し始めます。

お年寄り側だけでなく、この制度の申請窓口で働く役所の職員、死を迎えるまでサポートするコールセンタースタッフの女性、介護施設で働く外国人女性など、それぞれの立場からの視点もあ、この制度の全体像を見せてくれます。

plan75

きのう何食べた?」のジルベールが…!!

映画「PLAN 75」を鑑賞しての感想~♪(以下ネタバレ注意!)

それでは、さっそく感想にいきたいと思います♪(#^^#)

まずは倍賞千恵子さんが素敵でした。ジブリ映画の「ハウルの動く城」で初めて倍賞さんを知ったのですが、声がそのまんまソフィー!!(笑)

歌を歌うシーンがあるのですが、演技で普通の人っぽく歌っても美しかったです。

内容がかなり重たく、表情や沈黙のシーンが多かったのですが、俳優さん達の演技が凄すぎて、ぜんぜん退屈にならなかったです。

内容に関しては、私はてっきり「もっと命の尊さを…!」と説教臭く来るのかなと思っていたのですが、ぜんぜんそういうのじゃなく、本当にリアル過ぎて、軽くホラー( ;∀;)

主人公の境遇は、将来の自分の姿じゃないかと思うくらい、明日は我が身な思いでしたよ…。

安楽死について

以前、作家の橋田壽賀子さん(渡る世間は鬼ばかり)が「安楽死で死にたい」ということをTVかなんかで喋っているのを見た時、私も安楽死について考えました。

最期を看取ってくれるような家族や友人や居る人は良いけれど、そうでない人も現実には沢山いるわけで、私の義祖父も孤独死してることから「安楽死の制度があっても良いのでは無いか?」と個人的には思っています。

選択の自由があれば、「人生が幸せで、死にたくない!」って人は利用しなければ良いし、「もう生きていたくない」という人は、逆にそれが救いにもなるのではないかとも考えられます。

「死」ってどうにも暗く悪いイメージばかりありますが、私自身にとっては昔から「死」こそが「解放」で光に包まれるイメージがあるので、何がそんなにいけないのだろう、と思ってしまうのが正直なところです…(;^ω^)

映画の中では「この制度のおかげで経済効果がUP」みたいな描写あるのですが、生きて世の中に貢献できる人もいれば、死ぬことによって社会に貢献できるという現実が突き付けられ、これが現実なんだよ…という感じがしないでもないです。

なので、もしもこの映画の世界にいたら、私は迷わず申請しちゃうような気がします。

自分で生死を選択するなんて傲慢この上ないかもしれませんけどね…(;^ω^)

瞑想をして自我(思考)のカラクリが分かっても、この考えは変わらないような気がしますが、これはおいおい、まだどうなるか分かりませんね…♪(*´ω`*)

愛し合うこと、支え合うこと

人って誰もが寂しさや孤独を抱えているのだと思います。

映画の中で、主人公が「plan75」の制度を申請を死へ向かう過程で、涙が止まらなくなってしまったシーンがあるのですが、ただただ「存在」を受け入れてくれる人が居れば、人は生きていけるのかもしれません。

 

一緒にご飯を食べて美味しいね、って言い合える家族や仲間がいたり、自分の話を親身になって聴いて寄り添ってくれる人がいたり…。

自分を必要としてくれる人、守ってあげたい存在(赤ちゃんやペットなど)が居ることで、生きる力が湧いてくるのかもしれません…。

守って守られて、支えて支えられて…。

そうやって凸凹を埋め合って、人は愛を深めて成長していくのかもしれません。

意外な結末…!それもリアル…!

ところで、この映画の結末は、私にとっては意外というか、予想外でした。

でも、最後のさいごの行動こそ、とてもリアルでした。

主人公は日々の生活習慣から性格において、とても真面目で潔い人だなぁという印象を受けていたのですが、やはり頭で考えた通りに、自分の体が動くとは限らないんですよね。体は勝手に生きている、生きたい、生きようという衝動に抗えない。

なので、本当に考えさせられる、素晴らしい映画でした…(´;ω;`)ウゥゥ

結論:「こんな制度がある世界にしちゃダメだ!」

さて、ツラツラと書いてきましたが、この映画を見て「命はやっぱり尊い!」とか「明日から頑張って生きよう!」とか、そういう気持ちは全く湧いてきませんでした。

ですが、唯一、強く思ったのは「こんな制度がある世界にしちゃダメだ!」ということでした。

自分が孤独や不安感、寂しさを感じちゃうのはもうどうしようも無いから良いんですが、やっぱり悲しいし、地味に辛いので、他の人には、そんな思いをして欲しくないと心から思いました。

そのため、そうならないためにはどうしたらいいか、ということを本気で考えていきたいなぁと思いました。

世のなか全体を変えるような行動は出来ないけれど、まずは小さな一歩から、自身の意識の世界を愛や優しさで満たしたいです。

「生きる」ことに対してまだまだ後ろ向きですが、方向性はそっちだとヒシヒシと感じているのです。

 

助けて助けれて、支えて支えられて。

頭で考えたりそこに意味や価値を見出してるのではなく、そういうのが本当に当たり前、自然な人って、世の中に存在するんですよね。

今までは「心の安定」が私の目標でしたが、次は「愛」ですね…(*´ω`*)

 

何も価値が無いように見えても、迷惑しかかけてないように見えても、条件をつけることなく、ただその存在を受け入れて愛することが出来たら、これほど素晴らしいことはありません。

まずは、自分自身をそれで満たしてあげられるように…。

 

皆さんも興味があったら、この映画ぜひとも見てみてくださいね…♪