特別では無いただの自分を受け入れるとき ~両親への感謝と、両親の強み~
これまでずっと、両親の悪いところにばかり目が行っていたので、良いところが見えていなかった、というか、見ようとしなかった点は大きい。
けれど、今思い返してみると、両親ともに、その人生を受け入れてきた人たちであった。
父は生まれが貧しいところから始まり複雑な人間関係の中で、
あらゆる苦難を乗り越えてきた人で、その人生を聞いていると「向こうから問題がやってくる」というのが常であった。
その問題に向き合いながら、金銭的な面において十分な衣食住を築き上げてきた人でもある。ひたすら仕事をしていたイメージだが、地域のコミュニティにおいて、草むしりやら会計やらを引き受け、そのことに対してよく周りからの評価を受けていたのを覚えている。本人はコミュニティで権力を持とうとか、評価を受けようとやっていたのではなく、ただ淡々とするべきことをやっていたというものだったが。
一方、母は裕福な家庭に育ち、金銭的な面においては何不自由なく育ったそうだ。体が弱く文学少女で作文が得意だったという。その人生においては、本人も言っていることだが、瞬間的なエネルギーを発揮するのが凄かったと記憶している。
だから、逆に言うと、「対・人」の時はエネルギッシュだが、一人になると本当に静かな人なのである。旅行だったりピクニックだったり、小さい頃は工夫して子供たちを楽しませようと企画力を発揮していて、料理も得意で、年々その味は極みに近づいている。
両親の共通している点は「自分以外の他者の為の行動が、結果、自分が望んでいるわけでは無いのに、他人の評価を受けている」という点である。
特にやりたいわけでは無いけれど、自分がやる必要があったり出来ることを淡々とほどほどに楽しくやっていることが、周りの人へ良い影響を与えているように思える。それがほんの小さなことでも。
そして、この両親を見た時、私は今までの自分の人生を振り返ると、同じような道を辿ってきたのかもしれないと考えるようになった。
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