こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。
昨日に引き続き、今日も森村桂さんの本を読んでいました(*´ω`*)
一冊目は、森村さんのお菓子の本です↓↓↓
可愛いイラストと素敵な写真、柔らかいエッセイが綴られて、見てるいるだけで楽しい本です。
詳しいレシピが載ってるようで載ってないのですが、雰囲気からお菓子が作りたくなっちゃいますね♪
そして、もう一冊は、森村さんの最初のご主人との「結婚~離婚、再婚」までのことが書かれた自伝的な本です。↓↓↓
今の時代であったら、最初のご主人の言動と行動は、どう見てもDVでありモラハラなので「何故そんな人と、一緒にいるんですか?」と思いたくなるような描写が沢山あります(;^ω^)
ですが、当の著者ははそのことに気付いていながらも洗脳されてるというか、相手を過剰に褒めたたえ執着しているので、読者の第三者の視点からは、とても参考になる本だと感じました。
今回は、この本を読んで、またまた、色々な気づきが沢山あったので、そのことについて書いてみたいと思います(*´ω`*)
夫婦は鏡…? 我が家の場合
まず、人様の夫婦関係を考察させて前に、自身のことを書いておきたいと思います。
うちの夫婦ですが、付き合っていた当時から親戚から「老夫婦」のような感じと言われておりました…(笑)
ですが、それなりに大変な時期もあったのです。
といっても、主人は私に一度だって手を挙げたことはありませんし、意地悪なことをするような人ではありませんので、それは私からの一方的な苦悩だったかもしれません。
「類は友を呼ぶ」「同じものは引き合う」と言いますが、うちの場合は「真逆」という意味で、引き合ったような気がします。
要するに、在る部分においての精神レベルに、かなり「差」があったのです。
私はそれによって「なぜ自分はこういう態度とこういう行動しか取れないのだろう」「私はなんて至らない人間なんだろう」「最低な人間だ」と自分の未熟さを目の当たりにする日々を過ごしました。
それ故、いつも自信を持って澄ましたように生きてる(ように見える)主人が、不愉快でしょうがない時があったんですよ…(笑)
もちろん、これについては「鏡(投影)の法則」と共に感情解放・セルフセラピーを行うことで特に気にならなくなり、夫婦関係は改善されていきました。
そして、今まで違う所ばかりに目を向けていたところが、似たような部分・同じ価値観があるのだと、分かってきたのです。
つまり、まぁ、やっぱり似た者同士だったと気付くわけです…(笑)
「鏡」=「相手と自分は同じ(部分を持っている)と気付くこと」
こんな具合に、夫婦関係だけでなく、全ての人間関係において何度も何度もセラピーをすることで気づいたことは「相手の嫌な行動・言動などは、自分自身がそれを抑圧しているか、別の誰かにしている」ということでした。
「例外はあり得ない、そうだと思って我が身を振り返って探してください」と師はよく言いますが、実際、本当にそうだったんですね(笑)
そのため、「被害者」はというのは、あり得ないと思っています。
もちろん、形の上では確かにそう見えるのもありますが、そういう場合でも、第三者の視点から話を聞くとき「いえ、あなたも同じくらい、けっこう嫌な性格ですよ」とよく思う時があったりします…(笑)
もちろん、あえて言ったりはしませんけどね(;^ω^)
というのも「私との関係において」は、その人はめっちゃ「良い人」だったりしますし、別に「被害者意識」を持つことが悪いわけじゃありません。
ただ、自身の中で「気づき」が起きない限り、また同じような人が引き寄せられてしまう可能性があるので「もったいないなぁ…」と思ってしまうことがあります。
「それでも朝はくる」は、著者の「闇」を見せてくれる
さて、それでは本題に戻ります。
今回、考察したい森村桂さんのエッセイ本「それでも朝はくる」は、夫婦関係を描くことで「類は友を呼ぶ」「夫婦は鏡」を、ありありと見せてくれています。
全体の10分の8を読むと、正直、桂さんはDVやモラハラ夫の被害者なんです。
ですが、前夫だけでなく、著者自身のバイオレンスさ、狡猾さ、病的さは、実は作中の至るところに見られます。
特に最後の方で、新しいご主人との出会い・お見合いあたりの章からの口調というかエネルギーは、これまでと打って変わって、なんと相手を見下してた書き方だろうと感じてしまいました…(;^ω^)
「この人は感謝・謙虚さみたいのは無いのかな…?」と思わず思ってしまうんですね。
(ですが、この本は後夫の三宅一郎さんの協力のもと書かれた本らしいので、そう考えると、三宅さんはめっちゃ懐が深い人なのだなと感じました。あるいは、心を赦しているからこそ、その書き方ができたのかもしれません。)
上記のお菓子の本のように、表向きには天才的な魅力と才能がある華やかな面を見せる一方で、その真逆にある著者の「内面の闇」を垣間見せてくれるこの本は、ある意味で強烈です。
森村桂さんは、晩年には狂気に落ちていってその生涯を閉じるようですが、やはり、自分自身の性格というか、その闇は、あまりに荷が重すぎたのでしょうか…;つД`)
この本は、DV・モラハラとはどういうものかの参考書として、また、夫婦間の人間ドラマのエンターテインメントとして、更に、ファンの方はその内部事情が見ることのできる魅力ある本だと思います。
私としては、お菓子の本においては興奮と喜びを、エッセイ本ではメンタルにおいて、我が身を振り返る教材として、たくさんの学びをもらった気がしたのでした。
夫婦は鏡…!?読書でする人間観察の巻
何か問題が起こった時「誰が悪いのか」という犯人探しが始まると思います。
それで「私は悪くない」「アイツは悪い」と言うような話になってしまうのですが、本当は、物事は「ただ、起こってるだけ」なのだなと、最近は気づきます。
そして、起こることに対して、私たちの脳(思考)は「あれは良い」「これは悪い」「あれが原因だ」とジャッジします。
でも、何が正しくて何が悪いかなんて、時代ごとに変わってしまいます。
なので、正しいか正しくないかよりも、自分が苦しいか苦しくないか、相手が苦しいか苦しくないかを基準に考えて行動するのが良いのかもしれませんね。
ところで、今回この本のことを主人に話して「何故、それが起こるのか?」「どうして、それは避けられなかったのか?」話になりました(笑)
(傍から見ると、かなり意味不明なことを話しております)
主人は霊的なこと・輪廻転生というようなことも全く信じてないのですが、結局、物事はただ、起こってるだけなのだから、何が起きようとも、自分が苦しまないよう「これで良いのだ」と生きていくだけだよね、意味も価値もないよね、言っていました。
よく言う「気にしなければ良いじゃん」と言うやつです。
ええ、私自身、これまで学んできて、それが本当にそうなのだと思います。
ですが、自然にそれが出来るのって本当に羨ましいです…(#^ω^)
今まで散々、主人から「なんでそこまで深く悩むのか分からない」と言われてきました。ですが、私もここ最近は「気にしなければ良いだけだ」と思えるようになったのは、真逆だったものに「差」が無くなってきた証拠なのかなぁと思います。
そして、それは結局、最初から「差」なんて無かったのかもしれません。
皆さんの目の前に見える「鏡」は、どんな具合でしょうか…?
私はこれからも鏡の中の自分が「鼻毛伸びてる」ようなことがあったら、抜いて整えていきたいと思っています(笑)
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