専業主婦あのたまの漫画ブログ

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奇跡講座のこと③~無理やり勉強する本ではない~

こんにちは、薬を飲んでいるにもかかわらず、胃(みぞおち)の調子があまり改善されず、体調が優れないあのたまです(;^ω^)

さて、そんな中、今日もまた奇跡講座について書いていきたいと思います。今日は、奇跡講座の勉強を、一度挫折しかけたお話です。

 それは、10年以上奇跡講座を勉強している先生に会いに行った時、お話ししている中で言われた言葉がきっかけでした。

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「奇跡講座は、無理やり勉強する本ではありません。」

「奇跡講座は、やりたいと思って自然にやっていくものです。」

「やっても良いし、やらなくても良いものです。そこに、大きな価値を与えてはいけません。」

 


あれ、あれれ?最後のような言葉、どっかでワプニック先生も言っていたような…(;^ω^)……。

何故か分からないのですが、私はこの会話をした後の2週間ほど無気力になり、ワークに手を付ける気が全く無くなってしまったのです。後から分かったことですが、これは私がある時期から、奇跡講座に対して多大なる価値を置いてしまったのが原因だと感じています。「私は、もしかすると奇跡講座と「特別な関係」を結んでしまったのではないか…?」と。

 

因みに同じような状況に陥っていることについてJACIMのQ&Aを見つけました↓↓↓

【質問】No.96 (orig.#81) 私は、『奇跡講座』と特別な関係を築いてしまっているでしょうか?

 

自分が尊敬している先生に「やらなくても全く良いものなんですよ」と言われて、ガッカリしたわけではありません。また、今までも、無理やり勉強してきたつもりはなく、勝手になんかやっていたという感じでしたが…ある時期から奇跡講座を学ぶことで「自分が何か特別なことをしている」という風に無意識的に思ってしまっていたのかもしれません。

 

それは、漫画を描いていた時と同じような感じだったので、身に覚えがあります。今はそうではありませんが、以前に自分がイラストや漫画を描く理由が実は「他の人と違う自分を認めて欲しい!(普通ではない私を認めて欲しい!)」という承認欲求が一番であったと気づいたことがあります。その時、もはや私にとって絵を描く意味と、その必要が全く無くなってしまったのです。

 

その後しばらくして、自然と「あ~、描きたいなぁ」という感じで描けるようになりましたが、以前と圧倒的に違うのは、絵や漫画、イラストに関して、多大なる価値を置いていないことです。 絵や漫画は好きな人にとっては意味や価値のあることですが、そうでない人(普段見ていない人)にとっては正直大したことではありません。

それはどんなものでもそうです。スポーツマンであること、芸術家であること、サラリーマンであること、政治家であること。その人にとっては重要で価値があることでも、別の人からすると、全く無価値なものでありうるのです。

 

私はあたかも、奇跡講座を勉強することで、自分は他の人よりも悟りに近づいているのではないかと勘違いしてたのかもしれません。

 

実際に、奇跡講座を勉強していなくても、そういうことに一切触れていなくても心が平安な状態でいる人はいるわけで…。奇跡講座を勉強している中で、こんなこと人に理解されない、という気持ちが常に私にはありましたが、それと同じ分だけ、私は人のことを理解しようとしていなかったのだと思います。そして、「特別でありたい」という罠に入りかけてしまっていたのです。

 

その後、また自然と「あ~、ワークやろう」という気持ちになりましたが、以前と全く違うのは、もはや奇跡講座に対して、大きな価値を置いていないということです。もちろん自分の中では意味があって価値があるとは思っていますが、以前よりもその気持ちは小さくなりました。好きだからやっている、それだけ…(*´ω`*)

 

こんな感じで、また私の奇跡講座との日々は始まるのでした。

 

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