あのたまの漫画ブログ

自分の気付いたことや感じたことをエッセイ漫画にしています。

「悟りたい欲求」の消滅と、探求の終わり。

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

毎日まいにち、時間の長さはマチマチなものの、瞑想は欠かさず行っております。

最近では特別お話しするほどの大きな体験は無いのですが、対人関係の方でかなり興味深い方と出会い、それ故に、自分のこの「悟り」への探求はそろそろ終わりに近づいているのかなぁと感じる昨今です。

今日はそんなことについて、ツラツラと書いていきますので、興味がある方だけご覧いただければ幸いです~♪(#^^#)

瞑想を始めて9か月!…で起こった大きな変化とは…?

昨年の夏ごろから瞑想を始めたので、もうそろそろ9か月が過ぎようとしています。

その当時、私が瞑想を始めた理由は、今までずっとやってきた感情の探求を終えて「なんかもう、そろそろちゃんと瞑想をしないといけないような気がする」という気持ちが、心の底から湧いてきたからでした。

そこに加えて、小さい頃から生き辛さを感じていたこともあり、それをどうにかするため「悟りたい」という欲求もあったものですから、「悟ってる人は皆すくなからず瞑想している」というイメージのもと、そこに興味を持った次第です。

瞑想すれば、何かが大きく変わると思っていたけれど…

そっち方面の本をいくつか読んでいたこともあり、瞑想を始める前から「瞑想しても何か大きく自分の人生が変わるというようなことは無いだろう」と思っていました。

ですが、心の底では「悟りや覚醒」というものに対して、とても大きな期待と抱いていたのは事実です。

「悟った人間」になることで、自分に「価値」をつけたいと、気持ちのどこかで考えていたのは否定できません。

(まぁ、そのおかげで最初のやる気が無い時期を乗り切れたというのもありますが…(笑))

しかし、何か月がするうち、その期待が見事に裏切られたのは、言うまでもありません(;^ω^)

瞑想をし続けたからと言って、仙人のように高尚な人になる訳でもなければ、何か特別な能力がついて凄い人になれるわけでは無い。

そうではなく、瞑想をすればするほど、ただただ「目の前の現実がリアルになっていく」「それしかない」という経験をしていくことになるのでした。

そのうち、悟っても何にもならないので「悟りたい」という欲求も全く無くなってしまったのです(笑)

「過去」と「未来」しかない!頭の中で生きていた「自分」に気付く

人によっては、瞑想すると「集中力が上がる」とか「よく眠れるようになる」とか、そういう効果を話す方が多いですよね。

ですが、私の場合は特にそういうのは無くて、一番の大きな変化は「全く今にいない」ということに気付くことでした。

自分の意識は常に「過去と未来」にあったんですね。

そして、普段どれだけ無意識に「自分自身に責める言葉をかけていたか」とか、「生きることが嫌なのか」という思考のクセのようなものを発見できたのです。

因みに、これに対しては、今まではそこに捕らわれてしまっていたり、あえてそこに向き合って「考察」したりしていましたが、現在はただ「眺める」だけです。

単純に「ああ、そう考えているんだな…」と。

すると、時間が経てば、それは消えてなくなったり、思考はそれよりも大きな新しい悩みを紡ぎ出したりしていると分かりました。

全ての悩みや苦しみの原因は「思考」である

こんな具合で、「思考」を観察する日々を続けていく中で、全ての悩みや苦しみの原因は「思考」なのだなぁと、改めて思いました。

といっても、思考(自我)を全否定している訳ではありません…(笑)

これがあるおかげで、日常生活を問題なく送れているわけですからね…(*´ω`*)

ですが「思考=自我=不安=苦しみ」であることは、もうなんとなく体感として分かったのです。

そして、この「思考」が一瞬、消えた時、そこになんとも言えない、いわゆる「絶対的な」幸福感があるということも、体験の中で得ることが出来ました。

それこそが、私が小さい頃からずっと求めていたものであり、これからも得ていきたいと思う(実際にはもうある)、少なくとも、今、自分の中では最も「確かな」ものなのです。

「無意識の幸福感」を、常に感じている人…!

と、ここまでが、私の瞑想体験の中で得られたことで、これは私が今まで、回り道をしながらも人生のほぼ全てをかけて探求していた道のりです。

ですが、つい最近、なんか小さい頃からずっとそういう「幸福感」を感じている人と出会っちゃったのですよね…(;^ω^)

幸福について

皆さんは、幸福や幸せについて、どんなことを考え感じていますか…?

私の場合はご存知の通り根っこがネガティブなので「生きていて幸せと思ったことが無い」というのが正直なところなんです。

もちろん、一瞬一瞬、その時その時で、一時的に「幸せ」を感じるようなことはあってそれは間違いないのですが、それらの気持ちはすぐに消え去り、その反対側にある苦しみや悲しみ、虚しさが恒常的に「在る」ような感じがするのです。

今ではその「虚しさ」や「悲しみ」が「思考=自我」なのだなぁと、何となく気づいているものの、やはり、そのエネルギーは大きく、瞑想修行はまだまだ精進せねば駄目だなぁと感じざるを得ない日々です。

今まで生きていた人生の中で、「いつ」が一番幸せなのか?

ですが、そんな中で、どんな話からそういう話になったのかは忘れちゃったのですが、とある知人と「幸福」について語り合うことがあったんです。

その時、相手から「あのたまさんは今までの人生の中でいつが一番幸せだったの?」という質問があって、私はその問いに対して「『あの時は良かった』と思う時代はあったけれど、幸せと思ったことは一度も無い」と答えたんですよね。

それに対して、相手の方は「自分はどんな時も『今』だと断言できる。どんなに苦しくて辛かった時でもそう。」と、心底キッパリハッキリ言ったので、かなりビックリしてしまいました…Σ(´∀`;)

 

というのも、悟り系な本をいろいろと読んでいる私からすると「その答え」は間違えなく「正解」で私が辿り着きたい境地で在るからです。

この話をしていた時、相手の言うことを素直に信じることが出来たのは、その方は頭での理解ではなく、「体感」として本当に、常にそう感じているのだな…、と雰囲気とオーラを持っていたからです。

私はこれまで「この人が幸せそう、楽しそう」という人を真似っこして「どうやったらその人みたいになれるか」ということをずっと繰り返してきたので、表面的にはめっちゃ幸せそうでも、実際のところはそうじゃなかった…。苦しみから逃れるために、あるいは自分をよく見せたくてハッピーアピールをしていたり、ポシティブ思考になっていただけ、という人を沢山、見てきました。

ですが、今回はそういう感じは全くしなくて、「生きる喜び」を体現しているような感じが何となくしたのです。

 

そのため、私はその後そのことついて質問攻めにする訳なのですが、「無意識で感じている感じだから、うまく言葉に出来ない。どう表現して良いか分からない」ということで、結果的には、なんかよく分かりませんでした(笑)

最強の人種!?…頭で全く考えないタイプ

相手の方は、当然ですが「悟り」とか「メンタル」とかに全く興味が無く、基本ポシティブ思考で深く悩んだり考え込まない、私とは全く真逆なタイプです。

生きてるのが辛いとか苦しいと感じたことは一回も無いらしく(人生は話を聞くと壮絶…)、とても活発で、子供のように元気です…(笑)

もちろん、そうは言っても大人なので、過去や未来のことは考えていない訳では無いし、通常の辛さや苦しさは「そりゃあ、普通にある」とのことです。

ですが、先のことを考えても、結局「今目の前のことしか出来ない」ので、そういう感じで生きてきたそうです。

私の周りには「考え込まないタイプ」の友人がもう一人いますが、エネルギーの軽さがかなり似ているような気がします。

 

この方の言う「なんか無意識に幸せを感じてる」というのは、まさしく思考(自我)が落ちた時にずっとそこに在る、もともと在ると気付く「それ」なのではないかと、私は思っているのですが、兎にも角にも、この話をしたことで、私はこの長きに渡る「探求を終えよう」と決意をしたのでした。

探求の終わりと、はじまり

私がこの方と話していて、一番最初に感じた感情は「衝撃」でした。

そして「憧れ」だったのです。

ですが、その後に、これまでかつて感じたことが無いくらいの「悔しさ」と「怒り」を感じました。

相手をぶん殴りたいと思いましたし、自分のことも殴りたいと、モーレツに腹立たしく思ったんですよね!!(笑)

 

同じ人間なのに、この「差」は何なのだ…!と…(#^ω^)

私は小さい頃から、このことに時間を費やして悩んで迷って苦しんできたというのに、全く無意識に、私が得たいものを既に持っている人がいるとは…!

(正確には「誰もが持っているものに既に気付いている」ということです。)

 

いつまでもこんなことをしている場合ではない。

「もう終わらせて、始めなければいけない。」そう感じたのです。

頭の中で生きることを終わらせて、今を生きることを始めなくちゃ!…と。

生きることを、はじめる

私は小さい頃から、ずっと「早く死にたい」と思っていました。

生きることに全く喜びを感じていなかったからです。それは正直、今もそんなに変わらない感じがしています。

ですが、瞑想をしていくなかで、そういう「早く死にたい」ということも含めて、生きる意味とか価値とか、言葉として出てくる全てのものは思考でしかないと気付き、あるとき「もう勝手に生きてるんだから、考えても無意味。生きざるを得ない」という感覚になりました。

そして、どうせ生きるなら、少しでも楽しく生きたいと思いました。

生きる覚悟

生きているので、生きる。以上。

今の私にとっては、これが答えで、それで十分になりました。

 

その人、その人によって、その人生の中で起こることって、本当に違います。

私はある時期から「人」に興味を持っていたので、色んな方の人生や考え方を聞かせてもらいましたが、誰一人として同じ人はいませんでした。

しかしながら、形は違えど、みんな大なり小なり、根底では似たようなことで悩んでおり、目に見えない部分では「同じ」だとも感じました。

 

ただ、目の前に現れる人や現象、湧いてくる気持ちや思考。

そういうものに抵抗せずに、ただ受け入れることが出来れば、思考を暴走させる必要はないかもしれません。

 

私が入っている悟りのコミュニティでは、「ドラマを卒業する」という言葉を使って、それが全体の目標のようになっています。

ですが私は、今の段階では、どんなに瞑想をやっても自我は無くならないと感じており、むしろ自我と生きる覚悟、「ドラマを見る覚悟を持つ」という感覚になった次第です。

一緒に最後まで、辛いことや苦しいことさえも、笑い飛ばせるくらいになりたいと感じています(*´ω`*)

思考のエネルギーを、どこまでもそぎ落としていく

私は「深く考える」タイプですし「地味に繊細」でなので、お話しした方のようなレベルには到底いけないでしょう…(;^ω^)

ですが、出来るだけ、今まで通り、瞑想や観察を通して、思考のエネルギーをそぎ落として、その都度、決断して、後悔のないよう生きていきたいと思います。

なので、やるべきことは今後もあまり変わらないですが、今後とも適当に精進していきたいと思います。

 

以上、最近の気付きでした~♪(*´ω`*)