あのたまの漫画ブログ

自分の気付いたことや感じたことをエッセイ漫画にしています。

優劣に囚われない安心感…!同じところに目を向けよう

嫉妬心 エッセイ漫画

嫉妬心 エッセイ漫画

嫉妬心 エッセイ漫画

嫉妬心 エッセイ漫画

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ただいま、何回かに分けてエッセイ漫画「嫉妬心を解消する方法」に沿って記事を書いています。

十一回目の今回は「相手との違いではなく同じところに目を向けること」「感情に目をむけること」についてお話しています。

 上下(優劣)に囚われない安心感…!同じところに目を向けよう

前回の記事では、優越感を感じることで私達は「安心・安全」の気持ちを求めていることが分かりました。しかし、その安心・安全は上下(優劣)の枠の中で得られる安心感なので、いつ立場が逆転してしまうか分からず、とても不安定だということにも気付きました。

それならば、もう上下(優劣)で捉えてしまう物の見方を手放し、その枠に囚われない安心感を得られるようにすればいいのではないでしょうか?

つまり、相手と自分は「同じ」「何も変わらない」と思えるようになることです。

「違い」ではなく「同じ」ところに目を向けていくのです。

感情は誰もが平等に持っているもの

しかし、残念ながら、どうあってもこの世界は平等ではありません。

幸せな世界があるように見える一方、耳に入らないだけで世界の裏側ではとんでもないことが起こっていたりしますよね(;^ω^)

容姿・能力・才能…所有物・地位・立場・環境など、「形」だけ見ると上下優劣…とにかく全部「違っている」のです!

どんなに「同じ」であろうと思いたくても、「形」にこだわると「違い」がありまくりです。

そのため、嫉妬によって劣等感を感じて相手との「違い=差」に苦しむとき、それを見て見ぬふりをすることは出来ません。

むしろ、これを受け入れないと、ただの「勘違い野郎」になってしまいます…(笑)

けれど、感情はどうでしょうか…?

誰もが、ポシティブな感情やネガティブな感情を味わったことがあるでしょう。

「達成感」「情熱」「嬉しい」「楽しい」「辛い」「苦しい」…etc.

やっていることは違っても、それぞれが大なり小なり「感情を感じて」日々を生きています。赤ちゃんだって言葉は喋れないけど感じています。もしも、感情を味わったことが無いのなら、そもそも分からないので相手に嫉妬なんてしないハズです。

相手に嫉妬する時、私達はその感情を既に「持っている、知っている」からこそ嫉妬するのです。

そのため、相手と「同じ」であることは「ウソ」ではありません。

自分もそれを経験したことがある、持っていると思い出すことで、相手との「差」を埋めることが出来るのです。

全ての苦しみは「違い」を認識することで生まれる

何であれ私達が苦しむ時というのは、必ず「違い」の方に意識が向いています。

  • 私は頑張ってるのに、あの人は頑張ってない。
  • 私は病気なのに、あの人は健康だ。
  • 私は彼を愛しているのに、彼は私を愛していない。
  • こっちの国が正しくて、あっちの国は間違っている。

私自身が嫉妬した時も「私は出来ないけどあの子は出来る」という「違い」で苦しんでいました。でも、この内観を通して気付いたことがあります。

例えば嫉妬のキッカケとなった縄跳びですが…、私は当初一人で「楽しんで」「熱中して」「情熱」をもって縄跳びをしていました。そして、そんな姿に惹かれてくれたからこそ、友達は「一緒にやろう!」と声をかけてくれたのです。

結果として、私は三重跳びは出来ませんでしたが、彼女しか持っていないように見えた「情熱」「楽しさ」「熱中」の感情は既に私も持っていたのです。

そして「人を惹きつける力(承認)」ですが、友達は一人ぼっちで遊んでいる私に声をかけてくれたではありませんか!(笑)まだ、何も達成していないにも関わらず…。

人数は何人だ…と考えると「形」の上では、どうしても「差」が出てしまいます。

けれど、同じ要素は確かに持っていたと気付いたのでした。

劣等感を受け入れて、きちんと自分の「価値」に気付こう

私は今まで、散々「自分と相手は同じ」だという「投影(鏡)の法則」で人間関係の悩みを解消してきました。

しかし、自分を悩ませる嫌いな奴、ムカツク奴、ありえないと思う相手にはその法則を使っていたのに、よくよく考えると、これほど長くセラピーをしてきたのに、自分より優れたと思う相手にほとんど使ってこなかったのです。

何故かというと、嫉妬をした時というのはいつも以上に「自分をダメ人間だと思い込んで自信が無かった」ですし、「劣等感」から逃げて問題にきちんと直視していなかったからです。

そのため、凄いなと思う相手と自分が「同じ」だと思うことは、とても図々しくておこがましいと感じていたのだと思います。

しかし「法則」はそんなの関係ありません。

相手に「投影」している時点で、私の中にもそれがあるのです。

つまり「可能性」が私の中にもきちんとあるのです。

劣等感を受け入れて気付いたことは、ダメな部分も確かにあるけど、そうはいってもそれだけじゃないよな…?ということでした。

劣等感を受け入れて気付く自分の価値とは、決して外側から得た「形の価値」だけではありません。

形など関係なく、私達だれもが持っている本来の「価値」です。(そして、価値が「有る」からこそ「無い」とも言えます。)

それに一瞬でも触れた時、周りなど関係なく、内側から自然とエネルギーが沸いてくるのです。

何度、落ち込んでも必ずここに戻ってくることが出来るような気がしています。

 

さて、それでは次回は、これまでの総まとめをしていきたいと思います♪(*´ω`*)

 

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