あのたまのクリスチャン生活

聖書と賛美とお祈りの日々をつづります。

近況報告!引っ越しとエッセイ漫画の制作中…!

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです(*´ω`*)

気付いたらもう春の匂い…♪

大分ご無沙汰しておりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 私はというと、ここ最近は新作のエッセイ漫画の制作と引っ越しが重なって、なかなかブログを更新できずにいました。

このブログを定期的に見ていて下さる方がいるか果たしてどれくらい居るのか分からないのですが、もしも、いつも楽しみにしていた方がいらっしゃったら申し訳ありませんm(__)m

もうしばらく更新が出来そうにないので、今回は近況報告をしたいと思います(#^^#)

11ぴきのねこパロ

引っ越しの際に出てきた戸愚呂にゃご!(幽遊白書×11ぴきのねこ

 さて、まず引っ越しについてですが、今は新しい住みかに落ち着いて、片付けもほぼ終わり家の中も整いつつあります。

ただ、今回は人生で初めての戸建て(平屋)に住むことになり環境もだいぶ変ったため、慣れるまでにまだまだ時間がかかりそうです。同居というほどでは無いのですが主人の実家の敷地内なので、今までにない覚悟というか、最強の諦め感を味わっておりますよ…(笑)

 

さて、もう一つはエッセイ漫画ですが、こちらも今までと違ってそこそこ長編なので(といっても40枚弱程度)、道のりが長いです…(;^ω^)

創作の記録

長編なので頭の中を整理するだけでも大変…!

皆さんもご存じの通り、私は器用な性格では無いので2つのことはいっぺんに出来ません(;´∀`)ブログで日記漫画を描きつつ、同時並行でエッセイ漫画を描くという余裕が無く、このようにブログを一時休止状態にしている次第です(笑)

先週ぐらいからようやく気持ちが落ち着いてきたので、急いで作業を進めています。

ブログに関しては、このブログでチャレンジするかは分かりませんが新しくやっていきたいことがありますし、とにかく文字を書きたい気持ちもあって、ただいま漫画を急いで制作しております。

途中で挫けずに、早くこのブログで紹介できればなぁと思います。

創作の記録

とりあえず、全ページの下描きは終わった!

ところで、漫画の発表に関してはいつもこのブログが一番最初のお披露目になりますが、Twitterの方はほぼ毎日更新しており生存確認が出来ますので、もしTwitterをやられている方がいらっしゃったら是非覗いてみてください(*´ω`*)

はてなブロガーの方や読者の方は、相互フォロー歓迎です~♪♪ ↓↓↓

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ただ、Twitterはほぼ料理アカになっており、夕飯の写真をUPばかりです…(笑)

あらかじめ、ご了承ください…!(*´ω`*)

銀だらの写真

昨日は銀だらの粕漬けでした!

それでは、取り急ぎ近況報告まで。

もしかしたら、漫画は無いですが文章だけで更新するかもしれません。

でわでわ~!(*´ω`*)

自分とつながるために、もっと感情に目を向けよう!

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ただいま、何回かに分けて「さびしさと孤独感」について、エッセイ漫画に沿って記事を書いています。今回は最終回となります!(*´ω`*)

前回のお話では、さびしさや孤独感の原因と、その解消法についてまとめました。

その中で、つながりの感覚を取り戻すために「自然体で生きること」「自分自身とつながること=自分を受け入れること」が大切だとお伝えしましたが、実はあることに注意を払っておくと、本音とのズレを発見しやすいのです。

今回は、自分の気持ちに正直に生きることにおいて、自身の経験から気付いたポイントなどをお話したいと思います。

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

頭でっかちにならずに、感情をみつめていこう

自分とつながる練習!行動よりも「感情」に敏感になろう

長年、自分の気持ちを偽って生きていた人にとって、「自分にウソをつかず正直に生きる」というのは、とても難しいことなのではないでしょうか?

何故なら、あまりにも自分の本心を抑圧し過ぎて「何が好きで何が嫌いなのか」「何をしたくて何をしたくないのか」ということが、分からなくなってしまっている場合があるからです。

そのため、行動を起こそうとする時「やりたい!」という気持ちよりも先に、周りの目を気にして「これはやった方が良いかな?」「やるべきかな?」と「頭で考えて」行動してしまいがちです。

実は、かくいう私もその一人でした。昔は「好きか嫌いか」ではなくその行動に意味はあるのか無いのか、という「損得勘定」で動くことが非常に多かったのです(;^ω^)

「自分にとってなにかプラスになるならやりたい」「もしもそうじゃないなら、時間が無駄になるからやりたくない」

こんな風に考えて行動していると、何をやっても楽しくないし、心と体もちぐはぐ、そのうち、本心で何を考えているのか、全く分からなくなってしまっていたのです。

 

ですが、一方、感情はもっとシンプルです。

「心地いいか、心地よくないか」しかありません。

そのため、「感情」というのは、「思考」よりもとても「本音」に近いのです。

 

なので「自然体で生きよう!」という気持ちになった時「感情」を感じることがとても大切になってきます。

もしも、さびしさや孤独感の感情が押し寄せたら、むやみに「行動」でそれらを埋めようとしないで、一度、その感情にとことん浸ってみてください。

ただ湧いてくる感情をそのまま感じることで「本心」に寄り添うことが出来ます。

肯定も否定もせず、ただ受け身になって感じてるだけで、その感情は時間が経てば勝手に去っていくことに気付くと思います。

 

このような、練習を繰り返していくと(実際は練習というほど大層なものではありません。ただ感じるだけです。)感情に敏感になってきます。

すると、「頭」では好きなことをやっている「つもり」でも、それによって苦しくなったり辛くなったりしている自分に気づいたりします。

そして、そのうち 行動によって自分を苦しめていくことがだんだん減っていきます。 

もしも、頭でっかちになって自分の本心が迷子になってしまったら、ぜひ「感情」をに目を向けてみてくださいね(*´ω`*)

やりたいことは勝手にやっている

あと、自然体で生きようとするとき、これは「感情」よりももっと簡単なモノサシなのですが「やりたいことは勝手にやっている」と気付くことです。

何か行動を起こす前に「やった方が良いかなぁ…」と自問自答したり、「やるぞ!やるぞ!」と言いつつなかなか行動に移していなかったり、何回チャレンジしても継続できないで悶々としたり…。

そういったことで悩むときは、「思考」の渦に飲み込まれています。

悩みに注いでいるエネルギーのせいでやる気が起こらなくなっている可能性があるので、こういう時は一度スパっと悩むのを辞めてしまうのも良いかもしれません。

できないことはできない、できることはできる。

私も言われた言葉ですが、頭でっかちになりがちな人は、そのくらい「適当」でちょうどいいかもしれません(*´ω`)

因みに、この気付きは、実は昨年、私自身が悩んだ末に気付いたことだったりします。もし良ければ、参考まで↓↓↓

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さびしさと孤独感 エッセイ漫画

 さびしさや孤独感を受け入れていく

さて、こことまで「さびしさや孤独感」について、自身で気付いたことを色々と書いてきましたが、いかがだったでしょうか?

拙い文章なので話が繋がっていなかったり訳が分からないところもあったと思いますが、広い心で見ていただけると幸いです…(;^ω^)

私自身はこの過程においてはまだ発展途上で、未だに「自然体で生きてる」つもりになって、頭でっかちになってしまっている自分にハッとする時があります。

ですが、それすらも良しとすることが、本当の意味で「自分とつながる」ということなのかもしれません。つながってるとかどうとか、意識しなくなっていくと良いなぁと感じています。

 

ところで、今回は「感情は自分の本音に近い」とお伝えしましたが、ネガティブな感情を受けて入れていく度に、その感情に対しての恐れが減って、その感情が自分の中にあることを赦せるようになっていっています。

さびしさや孤独感という感情に限らず、感情というのは、勝手に湧いてきては去っていくもので、完全にはなくすことは出来ませんが、不愉快な感情が自分を悩ませるうちは、黙々とそれらと向き合っていくことが大切かもしれません。

そうすることで、自分の「本心」に寄り添い、つながりの感覚を覚えることで、安心感を得ていけるようように思うからです。

 

とは言うものの、私は人との交流が少ないので、あまり内側ばかりに目を向けるのではなく、外側の交流にももう少し積極的になるべきかもしれません。

まぁ、できないことはできないということで、とりあえず保留です(笑)

ここまで長々と読んでいただき、ありがとうございました(*´ω`*)

前のおはなし↓↓↓

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最初から↓↓↓

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つながりの感覚を取り戻そう!さびしさと孤独感を解消する方法

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ただいま何回かに分けて「さびしさと孤独感」について、エッセイ漫画にそって記事を書いています(*´ω`*)

前回のお話では、さびしさや孤独感を感じる原因が外側ではなく、自分の内側にあると気付き「それらの感情はなぜ起こってしまうんだろう?」という疑問をいだきました。

すると「誰も自分のことを理解してくれない」と思ってしまった時に、周りから切り離されたような感覚になったり、つながりが欠けたような気分になって寂しくなるのだと気付きました。

それならば、自分のことを理解してもらってつながりの感覚を取り戻せば、さびしさや孤独感は解消していきそうです。

では、どうしたら周りに自分を理解してもらえるのでしょうか…?

そもそも、どうして「周りに理解してもらえない」と思ってしまうのでしょうか?

 今回の4回目では、その辺りのことを書いていきたいと思います(*´ω`*)

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

相手の優しさが、むしろ怖かった時もあるほど重症化していた(笑)

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

周りが自分を理解してくれない=私が私を理解してくれない

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

周囲に良い顔ばっかして、自分を置き去りにしていませんか…?

 周りに理解されないと思ってしまう理由

 みなさんは「自分から見た自分と、周りから見た自分」にギャップはあるでしょうか?

私はというと、今でこそ本音をぶちまけて生活しているので、大分その差は埋まりつつあります。

ですが「良い人間でいよう」とか「頑張って生きよう」としていた時は、そのギャップにもの凄く悩まされていました。

繰り返していたパターンを例を挙げますと、仕事場においてはいつも自分のキャパオーバーの仕事を任されてしまう、というのがありました。

当時は「何で私ばっかり…」とか「誰も分かってくれない」などと思っていましたが、よくよく考えてみると、周りに駄目な奴だと思われたくなくて「一生懸命、頑張ってやってます!やる気あります!」というアピールをしていたのは紛れもなく自分だったんですよね(;^ω^)

つまり、私が本来の自分とは異なる「仮面」を被って周りに接していたので、それがそのまま周囲の人に写っていたわけです。

なので、周りからすれば「おお!ならば君に任せるよ!」と、かなり好意的に仕事を与えてくれていたのかもしれません(;^ω^)

けれども私自身は「本当の自分はそんな能力は無い…やる気も無い」と心のどこかで分かっていたので、内と外のギャップに耐えられなくなり、結果「もう無理~!」となって、自ら崩れていってしまった訳です。

 

このように「周りに理解されない」というのは、実は大ウソだったのです。

むしろ「仮面を被った姿」はちゃんと「理解されていた」んですね。

 なので、もしも、周りに理解されたいと思ったら、「理解されない」と思い込んでいる自分に気付き、この偽りの「仮面」を取るしかありません。

それはつまり、本来の自分自身を受け入れて「自分とつながる」ということでもあります。 

「仮面」をつけて生活することに慣れてした人にとっては、この「仮面を外す=自分を受け入れる」というのは、とても怖いことだと思います。(人によっては、自分が「仮面」をつけてることすら気付かず、麻痺してる人もいるかもしれません。)

ですが、裏表なく「自然体」で生きられるようになった時、つながりの感覚は戻ってきて、そのうち気付かないくらい当たり前になっていくかもしれません…(*´ω`)

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

自然体で生きてる「つもり」に気を付けよう♪

さびしさや孤独感は「つながりの感覚」が失われたサイン

さびしさや孤独感は、あまり心地良い感情ではありませんので、出来ればあまり感じたくないものです。

ですが、別の見方で見ると、このさびしさや孤独感というものは「今、あなた自分にウソをついていないかい?正直な気持ちで生きているかい?」という心からのメッセージだったりするのです。

頑張り屋さんや優しい人ほど、気付かぬうちに自分よりも他者を優先してしまう時があって、疲れてしまうことはあるのではないでしょうか?

そんな中で、ふっと寂しくなってしまったり、孤独感を感じてしまった時は「頑張り過ぎてないか?無理してないか?本当の気持ちを隠していないか?」といった、自分とのつながりを確認するバロメーターにしてみるのも良いかもしれませんね。

つながりの感覚を取り戻そう!さびしさと孤独感を解消する方法

さびしさや孤独感を紛らわせる方法は、ネットや本を探せば、いくらでも情報が出てくると思いますが、私の場合は、お伝えしたいことはただ一つです。

それは「つながりの感覚を取り戻す」ことです。

そして、つながりの感覚を取り戻すには「自分自身とつながる=自分を受け入れる」ことで解決できます。

この「自分自身とつながる=自分を受け入れる」という言葉があまりしっくりこない方は、「自然体で生きる」という言葉に置き換えてみてください…(*´ω`*)

つながりの感覚ってどんな感じ…?

でも、そうは言っても「つながり」とか「自然体」ってよく分からないと思われる方も多いかもしれません。

実は私も今まで、さびしさや孤独感を感じている時の自分にばかり目を向けていて、そうでない時の状況を全く意識したこともありませんでした。

それもそのはず…!そもそも「つながっている」という安心感を得られている時は、そんなことをまるで意識しないで、全てのものは当たり前にそのまま「在る」ということを肯定も否定もせずに受けて入れている状況だからです。

もちろん、誰かと気持ちを共有出来た時は「あ~!つながってる!分かり合ってる!」という感覚になる時もあると思います。

でも、それってとても心地よい感覚ですが、いつまでも続くものでもないんですよね。

なので「つながり」とか「自然体」が分からない、っていうのはその通りだと思うのです。

そのため、モノサシとしては「苦しくない状態」を目指すのが分かりやすいと思います。もしも「なんか違和感があるな、苦しいな…」と感じたら、自分との「ズレ」が生じているサインだと思うのがいいかもしれません。

 

次回は、このちょっとした「ズレ」に気付きやすくなるためのコツをお伝えして、このテーマを終えたいと思います(*´ω`*)

 

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さびしさや孤独感を感じた時に、まず気づいてほしいこと

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ただいま何回かに分けて「さびしさと孤独感」について、エッセイ漫画にそって記事を書いています(*´ω`*)

前回の記事では、さびしさや孤独感を紛らわせるためにアレコレ行動したけど、むしろより一層さびしさは募ってしまったというお話をしました。

今回の3回目では、何故それがうまくいかなかったのか、そもそも何でさびしさや孤独感を感じてしまうのか、ということについて焦点を当てています。

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

どうってことのないこの気付きが、大きなターニングポイントでした

 さびしさや孤独感を「行動」で紛らわすことは出来ない

これまで私はさびしくなったり孤独感を感じたりすると、それを紛らわせるために、とにかく「何か」をやろうと必死になっていました。

例えば、友達と遊んでみたり、一人旅をしてみたり、体を動かしてみたり…。

「行動すること」を通して問題を解決しようとしていたんですね。

しかし、前回の記事にも書いたように、結果は散々なものでした…(;^ω^)

 

そして、気づいたことは「何か」を「やる」ことでさびしさや孤独感を紛らわそうとしても、何も意味がないことに気づいたのです。

何故なら「ひとりでいても誰かといても、さびしい時はさびしいし、さびしくない時はさびしくない」という、当たり前なことを思い出してしまったからです。

つまり、例えば一人で料理をしていて、さびしさや孤独感を解消できた時もあれば、そうでない時もあったし、友達と遊んでさびしさや孤独感を解消できた時もあれば、そうでなかった時もあった…というようなことに気づいたのです。

 

全く同じようなことをしていても、感じる感情はその時々によって真逆といえるくらい異なっている。

ということは、外側で「何をするか」はあまり意味がなく、自分の「内側」に問題があると気付いたのです。

 

もちろん「行動」が一時的に役に立つ場合はありますが、長期的な視点から見るとあまり効果が無く、むしろ自身の体験から逆効果にすらなりうる可能性もあると感じました。

なので、もしも「何か色々試してるけどいつまでたってもさびしさや孤独感が消えない!」という方は、一度「行動」することから離れてみるのをオススメします。

さびしくて孤独な人間だと「思い込んでいる自分」に気づく

家族や友人、恋人など、沢山の人に恵まれていたり、経済的に余裕があって幸せそうに見える人でも、もしかしたら、心の中で「さびしさ」や「孤独感」を感じている人は、意外といらっしゃるかもしれません。

私の場合は、小さい頃から両親との関係や、友達がいない、ということで悩んでいましたので、周りに比べて自分はいつも「さびしい、孤独な人間だ」という風に思っていました。

しかし、あるとき知人から「でも、ご主人がいるじゃない。私から見るとそれだけ羨ましいわ…(笑)」と言われたことで、ちょっとビックリしたんですね。

私から見ると、仕事もバリバリ出来て友達も多くて、姉妹で親友のような関係を築いているその知人の方がよほど、自分よりも多くを持っているように見えて羨ましいと思えたからです。

けれど、素直に言うことを聞いてみようと思って、よくよく自分の考えを疑ってみると「あれ…、私ってそもそも本当に孤独なんだろうか?」という気持ちになってくるのです。

そして「事実」だけを並べてみると、確かに苦しくてしょうがなかった時期はあったものの、「物理的」に今まで一度も完全に「一人」になったことは無かったことを思い出しました。

ただ一方で、そのように思おうとすると「いや!そんなことはない!自分は苦しかったんだ!さびしくて孤独な人間なんだ!」と「思いたがっている自分」がいることにも気付きました。

その時「ああ、自分は何故か分からないけど、さびしくて孤独な人間だと思い込もうとしてるんだな」と客観的に自分の思考グセを見ることが出来たのです。

メンタルが病んでいた時も「メンタルが弱い自分」というレッテルをなかなか手放せなかった時のように、どこかで自分を「弱い」「不幸」な存在だと思い続けたい「何か」があると感じました。

「思い込み」を持っていた自分に気付いたからと言って、いきなり、さびしさや孤独感が無くなる訳ではありません。

しかし、この気付きが得られると、もう「変えよう!」という意欲が湧いてきます。 

何故なら、その思い込みは自分にとって「無駄」だと気付くからです。

 

さびしさや孤独感に関わらず、ネガティブな感情で「自分は○○な人間だ!」というものをお持ちの方は、自分の考えに疑いの目を向けてみると、今までとはちょっと違う見方ができるかもしれません…(^^)

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

なぜ…?なぜ…?疑問がどんどん湧いてきます(笑)

さびしい!孤独だ!って思っちゃうのはどうして…?

  • 「さびしさや孤独感は、どうやら外側ではなく内側に問題があるようだ」
  • 「さびしいとか孤独だとか思いこんじゃっている自分に、問題があるようだ」

 ということに気づいたおかげで、私はようやく「そもそも、何で自分はさびしいとか孤独だと思っちゃうんだろう?」という、原因の大元に目を向けることが出来るようになりました。

すると「周りから切り離されてる」とか「誰からも理解されてない」とか「つながってない」…というような言葉がぽつりぽつりと出てきました。

具体的に最近の例として挙げるなら、子供いないのに専業主婦である自分に対してそのように感じていたように思います。

「自分は社会の一員として何の役にも立っていないクズだから、周りの人に認めてもらえないだろう」とか「でも、どうにかしようと頑張ってるのに…。きっと甘えてると思われてしまう。誰にも理解してもらえない。」とか…。

とにかく「自分以外の誰からも、私は理解してもらっていない」という気持ちを、すごく強く持っていたなぁと気付きました。

 

でも、それなら何故、自分は「理解されない」なんて思ってしまうのでしょう…?

次回は、その当たりのことを突き詰めてみたいと思います(*´ω`*)

 

前回のお話し↓↓↓

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さびしさや孤独感を紛らわせるために色々やって失敗した話

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

とにかく真似から入るあのたま

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

さびしい時ばかりに気が向いてたけど、よく考えたらそうでない時もあるよな…?

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ただいま、何回かに分けて「さびしさと孤独感」に焦点を当てて、エッセイ漫画と共に記事を書いています。

2回目の今回は「孤独感を紛らわすために私がやってきたこと」についてお話したいと思います(*´ω`*)

さびしさや孤独感を紛らわす方法を試して、行動してみる

さびしさや孤独感を感じてしまってどうしようもなく辛い気持ちになった時、皆さんはどう対処しているでしょうか…?

「好きな音楽を聴く」とか「好きな映画を鑑賞する」とか「人の声を聞く」「体を動かす」とか、人によって色々あるかもしれません。

私の場合は上記のようなことに加えて、あえて一人を楽しんでみたり、逆に仲間を作って思いっきり遊んでみたり、何かに夢中になってみたり…。

さびしかった当時、周りにいたさびしく無さそうな人の行動をマネッコして、どうにか自分の気持ちに折り合いをつけようとしていました。

一人であれ仲間と一緒の人であれ、仕事人間であれ、趣味人であれ…。

いつもイキイキとして活動的な人は、私にとっては「さびしさを感じていない格好いい人」に見えたんですね。

なので、彼らと同じようにすれば、私もそのうち孤独感やさびしさに振り回されなくなると思っていたのです。

何をやっても、さびしさや孤独感が埋まらない…!

しかし、そんな風にアレコレやって、自分の気持ちを紛らわそうとした結果、私のさびしさや孤独感は埋まるどころか、ますます強くなっていってしまったのです。

一人遊びがそれなりに出来るようになって、また、仲間との交流も活発になってきたのにも関わらず、私の心は得体の知れない空虚感で溢れていました。

もちろん「何かをやっている最中」は、大丈夫なのです。

例えば「動物園に行って動物に癒される」なんてことをやってると、動物園にいる間は「はぁ~!動物って可愛いなぁ♪」と思ってめっちゃテンション上がってるんです。

ですが、その足で家路に着くころには「虚しさ」が湧いてきて、上げたはずのテンションがどんどん下がってしまう…なんてことを繰り返していました。

学校でも職場でも友人関係でも恋愛関係でも…。

「さびしい」「孤独だ」という気持ちが湧いてきたとき、それを紛らわせるためのどんな「行動」を取ったとしても、どんなに周りに人がいたとしても、もはやさびしさや孤独感が埋まることはありませんでした。

さびしさや孤独感に、周りの状況は関係ない…?

そして、もはやどうにもならないと思って、もう当時は無意識ではあったと思いますが、さびしさや孤独感を紛らわせるために、意図的に何かするのを辞めたのです。

というか、それよりもより強いネガティブ感情である「怒り」「自己否定感」などに苛まれ始めて、ぶっちゃけそれどこじゃなくなったという感じでもあります…(;^ω^)

結果的に「怒り」や「自己否定感」などの感情はその後セラピーを通して解放されたのですが、その時期、つまりここ数年の話ですが、ふと「あれ、最近さびしさや孤独感に振り回されなくなったな…?」ということに気付きました。

同時に、さびしさと孤独感をすっかり「忘れていた自分」にも…!

どこかで「いつもさびしさや孤独感が感じているのが自分だ」と思い込んでいてた私にとって、これは正直なところ大きな驚きでした…(笑)

けれど、この気付きのおかげで、ごくごく当たり前なことも思い出したのです。

 

一人でいても誰かといても、さびしい時はさびしかった。

でも、一人でいても誰かといても、さびしくない時はさびしくなかった。

 

同じような行動を取っても、真逆の感情になっている時がある。

じゃあ、さびしさと孤独感って、周りの状況が問題なんじゃなくて、もしかしたら内側に問題があるのかも…?

そんな疑問が生まれて、今までとは全く違うアプローチでさびしさと孤独感に向き合っていくことになっていくのでした。

次回からは、そんな内面からのアプローチを描いていけたらと思います(*´ω`*)

 

前回のおはなし↓↓↓

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孤独死が怖い…!?さびしさと孤独感に向き合ってみた

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

義祖父の孤独死を見てるので、トラウマがあったりする…(笑)

さびしさと孤独感 エッセイ漫画

さびしさと孤独感に興味がある人は参考まで…!(*´ω`*)

 こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

今日から何回かに分けて「さびしさ・孤独感」についてのエッセイ漫画と共に、ブログ記事を書いていきたいと思います。

今回は「1、はじめに」ということで、プロローグ的な内容になります。

 

皆さんは、普段の生活の中でさびしさや孤独感を感じたりすることはあるでしょうか?

全く感じないという人もいれば、時々という人もいたり、なんかいつもさびしい…!なんて人もいるかもしれません。

 

私はというと、小さい頃~20代後半までは、家族関係、友達関係、恋愛関係、職場関係…、ありとあらゆる場所で、この感情に苛まれることが多かったように思います。

 

カウンセリングを受けて色んな感情を解放していくうちに、そのうち、あまり気にならなくなっていった感じではありますが、最近はこの感情がやんわり主張してくる感じがあったので、せっかくなので向き合ってみることにしました。

 

その結果、さびしさや孤独感の原因は「つながりの欠如」だということが分かったのですが、これって、言葉だけで聞くと「いや、当たり前だろ!」ってツッコミたくなっちゃうような、答えかもしれませんね…(笑)

 

「つながっていない、なんかさびしい、孤独だ…」

これが何となく無意識で分かっているからこそ、私たちは普段の生活で「つながり」を得ようと、あらゆる角度からアプローチしているように思います。

しかし、どういう訳か、それが上手くいく時もあれば、そうでない時もあります。

それは一体どうしてなのか…?

この漫画ではそんな感じのことを自問自答しているような内容になっています。

なので、普段からさびしさや孤独感をぼんやり感じている方は、参考までに読んでいただけると幸いです(*´ω`*)

 

ところで、タイトルに「孤独死」と書いていますが、実は漫画の中ではほとんど「孤独死」について触れていません…(笑)

そのため、「孤独死」というキーワードでこのブログに辿り着いた方は、全く期待外れになってしまうと思います…スミマセン(^^;

ただ、「身」ではなく「心」の方に興味がある方には、もしかしたら何かヒントになるものがあるかも…?しれませんので、良ければお付き合いください。

孤独死に関しては、私の中に他にもネガティブな感情があるので、もしかしたら別の感情からテーマにするかもしれないです。)

 

因みに、友人関係のさびしさに関しては、以前エッセイ漫画に沿って記事を書いているので、もし興味があればご覧ください↓↓↓

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それでは次回から本題に入っていきます~♪(^^)

本編の続き↓↓↓

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明けましておめでとうございます!

こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。

ご挨拶が遅れましたが、新年あけましておめでとうございます!(*´ω`*)

年明けからコロナで大騒ぎな感じですが、皆さまが一年穏やかな過ごせることを心よりお祈り申し上げます。

11ぴきのねこ ファンイラスト

丑年の11ぴきのねこファンイラストです♪

さて、昨年末も特に一年を反省することもなくにブログを〆てしまいましたが、新しい年を迎えたからと言って、大きな目標や決意などは全く無いという怠惰っぷりなワタクシです…(笑)

ただ、そうは言ってもなんとな~く、これをやっていこうかな…というのはあったりします。

それは「行動」や「思考」ではなく「感情を感じる」ということを、今年は本気で最優先でやってみよう…ということです。

「感情を感じること、これが何よりも大事である、これが全てである」、と、私が尊敬する師は何度も私に教えてくれていました。

そして、私も「確かにその通りだ」と頭では納得しつつも、果たして今まで、本気でそのようにしていただろうか…、と疑問を抱きました。

そして、答えは「否」というか、「中途半端」だったなぁと思うのです。

ちょっと油断すると、行動することや考えることを大事にしている自分がいましたし、昨年は、もう行動しても考えてもどうしようもならない状態に陥って、「感じる」ことに改めて向き合った年でした。

 

なので、今年は今までの中途半端さを捨てて、「感情」をより敏感に感じていけたら良いなあと思っています。

つまり、何をしたいのか、どう行動したいのか…、というのではなく「どんな気分でいたいのか、どんな状態でいたいのか?」というのを重視するということです。

「あなたが何をするかは正直どうでも良いんです、そこに重きを置かないでください」と先生はよく言っていましたが、それはまぁぶっちゃけ怖いわけです…(笑)

でも、そんな「行動や思考をコントロールしたい自分」を手放せたらと思います。

 

昨年末には、ひょんなことから新しく学んでみたい先生に出会ったり、感情に関しての新しい情報が入ったりと、興味があることはいくつかあったりしますので、気付きがあったら、どんどん突き詰めてみたいものです。

 

それでは、今年もどうぞよろしくお願いします!(*´ω`*)