こんにちは、ぐうたら主婦のあのたまです。
新しく始めた農作業のお手伝いがまだまだ慣れなくて、ヒィヒィ言いながら毎日を過ごしています。しかし、そんな忙しい日々の中、自分にとって必要な情報が一気に入ってきています。
その中の一つが「HSP(Highly Sensitive Person)」についてで、今日はこのことについてお話したいと思います(*´ω`*)
- HSPとは何か…?
- 甘えてると思われたくない!HSPであることを認めたくなかった理由
- 年を取っても治らない!…自分の弱さ(性質)を受け入れる決意
- HSPであることを受け入れたら、気持ちが楽になった…!
HSPとは何か…?
みなさんは、HSPって知っていますか…?
ある時期からどこからともなく耳にするようになった言葉ですが、HSP(Highly Sensitive Person)というのは「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、人口の15%~20%5人に1人が持っている性質のようです。
米国の心理学者である、エレイン・N・アーロン博士が提唱した概念とのことです。
どんな特徴があるのかというと…
- 深情報処理を行う
場や人の空気を読み取る能力があるが情報を読み過ぎて必要以上につかれる
- 過剰に刺激を受けやすい
外部からの刺激に敏感なので、人込みや騒音、匂い、身に付けるもの、気候、人が発するエネルギーなどの刺激に過度に反応する。目に見えないエネルギーにも敏感。
- 感情の反応が強く、共感力が高い
親や自分の周りの人の感情を読み取るなど…。やり過ぎると境界線が曖昧になり、自分を見失い相手からの影響をもろに受ける。
- 些細な刺激にも反応する
刺激に敏感なので疲れやすい。いつも周りに気を使っていて、無意識にアンテナを張っている状態なので人混みなどが苦手。
などがあるそうです。
みなさんはいくつ当てはまったでしょうか?実はワタクシ…、これ全部当てはまるというか、もうそのまんまだったりします(笑)
小さい頃から本当に人混みが苦手で、都心を離れてはるばる長野県にやってきたのも、東京が自分にとってあまりにも刺激的で「ここに住んでいたら死ぬ!」と思ったからに他なりません。
とにかく、人やモノから発せられる「気」「エネルギー」に敏感で、それはリアルな場だけでなく、例えばネット上などの文章なども同様です。
批判や中傷など、たとえそれが自分に向けられているものでなくても、その文章から発せられるその人のエネルギーを敏感に察知してしまう傾向があります。
そのため、自分がこのHSP的な性質を持っていることに自覚はありました。同時に、小さい頃から周りの大人や知人にも、そのことをよく指摘されていました。
しかし、この「HSP」という言葉が世に出始めて、一種の流行りみたいな感じになってきた時、私は違和感というか拒否反応を覚えました。
ネット上で色んな人が「私はHSPだ」と公言し始めて「HSPについて」の本が出回った時、その情報を素直に手に取ることが出来なかったのです。
甘えてると思われたくない!HSPであることを認めたくなかった理由
何故そんなことになったのかと言うと、当時は「私はHSPです!」といちいち公言することは、自分が生き辛くて、上手くいかないことへの「言い訳」のように感じたからです。
私自身、自分がそういう性質を持っていたのですが、そうは言っても、それは私だけではなくどんな人も少なからず同じような性質があるだろうと思っていました。
そのため、HSPであることを公言して、それを周りの人にいちいち認めてもらおうとする行為は、「甘え」なのでは無いかと考えてしまったのです。
「私だけでなく、みんな頑張って苦しんで生きているんだ!私だけHSPとか言い訳をして、逃げてはいけない!甘えてはいけない!」という感じに、頭の中が声が響いていました。
「HSPは甘え」という思考回路になった原因
このような思考回路が出来てしまったのは、20代の頃にうつ病っぽくなったものの、周囲の理解が得られなかったのが原因かもしれません。
当時、私は本気で命を絶とうとするほど苦しい状況だったのですが、「うつ病」認定をされていなかったので、周囲の扱いが「ただの甘え」という扱いで「いつまで落ち込んでるの!いい加減にしなさいよ!」と逆に怒られたりしていたのです…(笑)
そのため「この程度の苦しさで、甘えてはいけない。私がおかしいんだ。弱い自分はダメだ。強いメンタルにならきゃ。変わらないといけない!」という気持ちをずっと抱えてきました。
こんな具合だったので、例えばSNSでメンタル弱い系のコミュニティに入ろうとしても、うつ病の認定すらされてもいない私などは、そこに加わることは許されないような気がしていました。実際、コミュニティの中ではうつ病を患っている者同士が、どちらがより酷いうつ病かをマウント合戦していたりしましたから、土俵にあがることさえ許されなかったでしょう…(;^ω^)
この流れがあって、うつ病の時と同様に、HSPという「性質」を認めることは、甘えに繋がるのではないかと恐れたのかもしれません。そして同時に、HSPであることを公言することも「その程度でHSPと言うな!甘えるな!」と言われそうだと、抵抗する気持ちが生まれてしまったのです。
自分が我慢しているので、他の人を許せなくなる
今から思うと、HSPについて学ぶことは、ただ自分の性質を知るだけであって、別に言い訳でも甘えでも逃げでも何でもありません。
しかし、当時の私は「みんな(HSP気質ではない人)と同じようにならなくては…!」と必死だったので、「HSP=弱い自分=みんなと違う」という図式を受け入れることが出来ませんでした。
こんな具合に、私は自分の性質を認めていなかったので、HSPと公言して「私は敏感なんです、弱いんです」的な発言をしている人を見るとよくイライラしていました…(笑)
自分が我慢しているので、「ずるい!」って思っちゃったんですね…(;^ω^)
そして、私が自分に言われるのを恐れていたように「そんだけ社会的に成功してるのにHSPとか言わないでよ!十分、普通に生きてるじゃん!」という批判的な目を相手に向けていたのです。
皆さんもお気づきのように、この辺りで私自身も、かなり間違った方向に行っちゃてるのでは…?と気付き始めました。
年を取っても治らない!…自分の弱さ(性質)を受け入れる決意
私は自分のこの性質が、小さい頃から嫌で嫌でしょうがありませんでした。
感受性が豊かだからといって、生きていく上で何の役にも立たず邪魔なだけだったからです。(少なくとも、今まで生きてきた人生30数年の中では…!(;^ω^))
なので、どうにかこれを克服したい、変えたいと必死でした。
けれど、年をとればとるほど、その敏感さは無くなるどころか、どんどん酷くなっていきました。ですが「もうどうやっても無理!」となって、また「劣等感」を受け入れるワークをしていることもあり、ここ最近、ようやく…、初めてHSPについて書かれた本を手に取ることができたのです。
これは、私が「認めたくなかった自分を受け入れる」のと同じ行為でした。
何故ならHSPであること、敏感・繊細であることを、私はずっと「ダメな自分」だと思っていたからです。
本を読んで分かったのは、HSPであることは、ただこういう性質があるからこう対処していきましょうということだけでした。
甘えでも逃げでもダメでも何でもない。ただ、そうであるだけでした…(笑)
一体、私は何を恐れていたのだと、読み終えた後キョトン…としてしまいました。
HSPであることを受け入れたら、気持ちが楽になった…!
自分の弱さ(だと思っていたもの)を受け入れたら、ものすごく気持ちが楽になりました。「そっか~、そうだったんだ。だからあの時もこの時も上手くいかなかったんだ」とスッキリしたのです。
そして、自分の性質を知ってその都度、適切な方法で対処していこうと改めて決意しました。本当に、ただそれだけのことでした。
自分が被害者ヅラするとか、甘えてしまうんじゃないかとか…。
全然そんなことはなく、自分にとって居心地の良い場所を見つけて、居心地の良い人と付き合っていけば良いだけの話でした。
そして、自分が「弱さ」だと思っていたこの性質ですが、別の見方にすれば「強味」にもなるのではないかと思えるようになりました。
いつかこの性質を上手に生かせることが出来れば良いなぁとまで思えるようになったのは、私にとって大きな進歩です(*´ω`*)
HSPを受け入れても、甘えにはならない
これまでネガティブな感情を受け入れてきたのと同じように、「自分の中に、このような性質はあっても良い」と自分で認めたことにより、「周りに理解してもらいたい!」という気持ちが嘘のようになくなりました。
何故なら、自分で認めているので、いちいち周りに認めてもらう必要がなくなったからです。私がしなければいけなかったことは、敏感で繊細な自分を変えることではなく、敏感で繊細な自分を受け入れて「自分で自分を大切にする」ことだったのでしょう。
「自分のダメだと思うところ」=「恐れ」と向き合うのはとても怖いのですが、今後も自分の弱さ、ダメだと思うところを受け入れる勉強を続けていければと思います。
同じようなことに悩んで苦しんでいる方の参考になったら幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました(*´ω`*)
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